究極の遅読は「写経」──人生を豊かにする「遅読」4つのテクニックとは?
(2)ドッグイヤー、アンダーライン、メモ、付箋──わたしの証
ドッグイヤーとは、ページの上端・下端を三角に折っていくこと。
アンダーライン(傍線)は、シャープペンシルでも色鉛筆でも蛍光ペンでも、なんでもかまわない。
本に印をつけていく。わたし自身は、蛍光ペンより書くのが速く、赤鉛筆ほど目立ちすぎない、黄色のダーマトグラフを愛用している。特に重要だと思ったところは、ページの余白にメモも取る。
本は、たしかに大事なものだ。人類の宝だ。しかし、大事にしすぎると、本を読む意味はほとんどなくなる。使われない名刀は錆びる。
庶民は紙の本など一生に一度も手にしない時代があった。印刷された本が少なかったから、読書とはすなわち、希少な本を繰り返し熟読、精読することだった。江戸時代の学者、伊藤仁斎は論語を五十年、読み続けた。本居宣長は古事記や源氏物語を、35年読んだ。
いまから1000年以上前、平安時代の貴族にとっても、紙の本はきわめて貴重なものだった。源氏物語で、光源氏の息子の夕霧は、大学で学んだとき漢籍に爪の跡を残して勉強した。紙は汚せなかった。大臣の息子にしてからがそうなのだ。
それに比べれば、百冊読書家は王侯貴族以上だろう。光源氏より、上だ。本は、安い買い物なのだ。現代に生まれた幸運に感謝して、本を折ろう。線を引こう。メモを残そう。
どうしても抵抗があるならば、付箋を貼って、メモをそえる。読書日記をつける。読書とは痕跡のことだ。著者とつきあうことだ。自分の感情、思考、その痕跡を残す。