輪廻転生=ゲーム理論? 仏教の教えは極めて合理的だった...教養で世界の見え方が変わる
「囚人のジレンマ」とはこのようなものです。ある犯罪の容疑で捕まった容疑者2人が、別々の部屋で尋問を受けています。2人がとれる選択肢は「自白する」「自白しない」のいずれかで、自白の状況によって受ける刑罰の重さが異なります。2人とも自白したら懲役5年。一方が自白してもう一方が黙秘したら、自白したほうは即釈放、黙秘したほうは懲役10年。2人とも黙秘すれば両者とも懲役2年で済む。
一回きりのゲームとしての「囚人のジレンマ」なら、囚人は自分の利益を最大化するために自白するほうが有利。ところが、無限に繰り返すゲームだとしたら、相手を裏切ると仕返しされる可能性が高いため、囚人らは協力して互いに黙秘するほうが有利になる。前者を「ナッシュ均衡」、後者を「パレート最適」といいます。
輪廻転生をこの考え方にあてはめてみましょう。もしも輪廻がない世界だとしたら、人生は一回限り、目の前の人と再会する可能性も低い。だから、目の前の人から搾取しても逃げ切ればいいと考えてしまう。この世で「いい人」でいるためのインセンティブが少ないのです。ですが、人生というゲームが無限にくり返されるのなら、互いを思いやったほうが有利という論理的な結論を導けるのです。
つまり、現代の経済学における発見は、すべてガウタマ・シッダールタが2000年以上前に説いていたことと一致する。これは非常にワクワクするお話でした。人類が長い時間をかけて蓄積してきたものは、残るだけの理由があるのだなと感じます。
「哲学的ゾンビ」が、私の世界を変えた
リベラルアーツを学んでいくと、物事の見え方が変わる。その面白さを明確に実感したきっかけは、大学時代にさかのぼります。野矢茂樹先生の哲学の授業を受け、著書『哲学の謎』に出合いました。この本は、「私が死んでも世界は続くのか?」「時が流れるというのは本当か?」といった身近な切り口の問答形式で、実在や知覚行為、自由などの哲学の根本問題を考察していく名著です。
そこに登場する「哲学的ゾンビ」という思考実験が非常に面白かった。これは「ふつうの人間のように見えるけれど、実は内面的な感情を持たない存在」について考える思考実験です。もし目の前の人が私の話にうなずいてくれていても、実はそれは、ある刺激に特定の反応をするようプログラムされているだけかもしれない――。でもそれを判定するすべはなく、そこから「意識とは何なのか?」という問いが生まれました。
この本との出合いは、何か新たな理論を知ると世界が変わって見えることの面白さを感じた原体験です。こうした経験を積むにつれ、「この学問はどういう理論で世の中を説明しているのだろう?」というところに興味をもつようになりましたね。