タダ同然の魚からお金を生み出す...... 24歳シングルマザー社長が日本の漁業に奇跡を起こした
さらに悪天候で波が高い日や、風が強い日も漁には出られない。特に巻き網漁では、複数の漁船が近距離で作業をする。日本海の荒波に煽られて、船と船が接触でもすれば大事故になりかねない。その結果、実質的に稼働できるのは年間80日にも満たないという。
長年の経験で天候を見極め、事故のリスクがあると判断すれば、その日の漁を中止する。それ自体は理解できるが、1年のうち4分の3は仕事ができないというのはどう考えても普通ではない。萩大島の漁師には、漁が休みになるとパチンコ店で日がな過ごしている者も多かった。これでは収入も当然、不安定になる。
これは私たちの新規事業においても、大きな問題になりそうだった。漁に出られなければ当然、自家出荷はできない。それでなくとも禁漁期間の3カ月間は、まったく商品を届けられないことになる。これではお客さまの信頼は得られない。漁ができなくても、魚を調達するルートを確保する必要があるわけだ。
立ちはだかったローカルルール
職業として漁をするためには漁協や漁連(漁業協同組合連合会)から許可を得る決まりになっている。これは全国どこでも共通だが、それと併せて県ごとの規制やルールがあり、萩大島のある山口県には他にはない独特のローカルルールがあった。
それは、一隻の漁船につき一漁期に一つの漁法しかできないというルールである。
本州の西の端にある山口県は広いエリアが海に接している。しかも、流れの激しい日本海と、穏やかな瀬戸内海という2つの異なる性格の海に接しているため、好漁場にも恵まれている。それゆえに古くから漁業が盛んで漁の許可を取っている漁船も多い。
漁師間の争いを少しでも減らすことを目的に定められたのが、一漁船一漁法という特殊なルールだった。
「なんで延縄(はえなわ)漁に出んの? 天気が悪くて巻き網漁ができないなら、一本釣りに出ればええやん」
不思議に思って長岡に尋ねてみたが、「そういう決まりなんじゃ」の一言で終わりだった。
「ルールだから」を疑え
漁獲高が圧倒的に今より多かったころなら、こうした互助会的ルールにもメリットはあったかもしれないが、今や漁業者は減る一方で存続の危機に瀕しているのだ。
巻き網漁が禁漁の季節でも、他の漁ができれば、それだけ漁に出られる人が増えるではないか。それなのに昔のルールが「ルールだから」という理由だけで存続している。知れば知るほど不可解な話ばかりだ。
ルールの存在よりも私にとって腹立たしかったのが、肝心の漁師たちが矛盾を感じていないことだった。時代に合わないなら変えるように働きかければいいじゃないか。なぜ、初めから「そういう決まり」の一言ですませてしまうのか。
実は、この一漁船一漁法については、われわれが県内の漁協を束ねる山口県漁業協同組合に直談判し続けたことで、後にルールが撤廃になった。撤廃といっても、正式にお触れが出たということではない。漁協がなにも言わなくなっただけなのだが、そうなるまでに3年以上の時間がかかった。
「タダの魚で収益を生む」誰もできなかった事業化プラン
さて、萩大島の漁師の現状を調べ、そこにある矛盾と、一方で大きな可能性を知った私は、1年をかけてようやく6次産業化事業の認定事業者になるための事業計画書を完成させた。