コラム

東北の人々にとって「語り」が意味するもの

2020年03月12日(木)16時00分

2つ目は、小野氏の語る「自身の人生」や「民話の語り部の人生」が、各章で取り上げられている民話そのものと深く結びついているという点です。例えば、最終の17章にある「ガダルカナル島の飢餓から生還した男性」が心の支えにしていた民話の記憶、「病に苦しむ母親が娘に語った」あまりにもダークな民話のエピソードなどは、その深さと重さにおいて、民話の紹介や評論といったレベルをはるかに超えています。

3つ目は、震災から9年という年月の実感です。本書には、震災に関する直接的な言及はほとんどありません。多くの「採訪」は、震災のはるか以前になされたものです。また多くの語り部は既に他界されています。それぞれの生々しい逸話について、震災後の時間の中で小野氏は昔のノートを辿りながら、丁寧に文章に手を入れていかれたのでしょう。私の勝手な想像ですが、小野氏が向かい合われた震災とその後の9年という時間が、この大冊として結晶したのではないかと思われるのです。

本書を通じて分かったのは、民話というのは高度な抽象化だということです。災害や病苦、貧困、別離、死別といった悲劇を背負う時、人は個別の悲劇に向かい合ってしまうとその事実の重さに潰されてしまうことがあります。そんな時には、例えば思想という言葉を使って一般化することで、何とか耐えようとする人がいます。また、宗教がもたらす世界観を使って耐える人もいます。

同じように、民話というのは悲劇を一種の寓話、つまり比喩を使ったストーリーとして展開することで、抽象化する知恵なのだと思います。悲劇を、ユーモラスに誇張したり、擬人化した動物の話にしたりするというのは、痛みからの逃避や退行ではないのです。そうではなくて、物語にして「語る」というのは、抽象化・一般化という高度な文化的営みであり、東北の人々は、そのようにして痛みを受け止め、それに耐え、そして乗り越えて来ているのだと思います。

本書は17の章に「最終章にかえて」を加えた各章に、それぞれに独立した民話が紹介されています。それぞれに十分に深みを持った民話ですが、それが語り手の人生と、さらに聞き手であり記録者である小野氏の人生に照射されることで、別の光をにじませています。そのうえで本書全体としては震災後の9年という歳月を感じさせつつ、東北の人々が昔から紡いできた「語り」という抽象化・一般化のカルチャー、その深さへと読者を連れて行ってくれるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:ベトナム、新興国格上げ目前に海外資金流出

ワールド

アングル:メキシコ「麻薬王」拘束作戦の立役者、家族

ワールド

イラン戦争は2週目に、トランプ氏「無条件降伏」求め

ビジネス

アングル:欧州で若者向け住宅購入の新ビジネス、価格
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗雲...専門家「イランの反撃はこれから」「報道と実態にズレ」
  • 2
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力空母保有国へ
  • 3
    日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示さない
  • 4
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 5
    【WBC】侍ジャパン、大谷翔平人気が引き起こした球場…
  • 6
    女性の顔にできた「ニキビ」が実は......医師が「皮…
  • 7
    大江千里が語るコロナ後のニューヨーク、生と死がリ…
  • 8
    「みんな一斉に手を挙げて...」中国の航空会社のフラ…
  • 9
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 10
    ダイヤモンドのような「ふくらはぎ」を鍛える最短ル…
  • 1
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 2
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズった理由
  • 3
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 4
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 5
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 8
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 9
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 10
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 5
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story