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豪雨災害報道で拭えない「不自然な印象」
昨年、発生した西日本豪雨災害の教訓はさまざまなところで活かされているが…… Toru Hanai-REUTERS
<危機感を喚起する強い表現はすぐに陳腐化するし、「全市避難」の指示では逆に避難は徹底されない――豪雨災害報道にはまだまだ改善が必要>
九州南部では、連続的に強い雨が続いて降り始めからの雨量が1000ミリを超える地域も出ています。これは、大変に深刻な事態で、気象庁や自治体の動きを受けて、各メディアが大規模な報道体制を敷いているのは当然です。そうなのですが、報道に関してはどうしても「不自然な印象」が拭えません。
1つは、言葉の問題です。気象庁も、各メディアも必死になって危機感を喚起しようと、言葉の上での表現を工夫しています。その努力には敬意を表します。例えば、2018年には「命を守る行動を」としてみたものの、効果が十分でなかったために、2019年には「自らの命は自らで守るという意識で」などと表現を変える試みもされています。
さらには「(自分だけでなく)大切な人の命を守れ」とか「空振りでも良いから」などと言葉をクルクル変えながらの試行錯誤が続いていますが、社会心理学的にしっかり検証して、逆効果にならないのか、もっと良い表現はないのか、危機意識を持って研究を続けて欲しいと思います。日本語というのは余程考えて表現しないと、強く言えば言うほど陳腐化が加速する特質があるからです。
明らかに不適切な表現も残っています。例えば、報道では「避難所では不安な一夜を過ごしています」という定番フレーズがありますが、適当ではないと思います。避難所に安全に移動できた人は少なくとも危険からは保護されたことになっています。保護された人が、それでも不安なのは、慣れない場所での健康不安と、避難中で家屋が被害に遭うという経済的な不安が主ですが、直接の被災の危険からは保護されているはずです。
それならば、「避難が間に合ってまずはホッとした」という報道がまずあるべきであり、「避難所では不安な一夜」という言い方は止めるべきと思います。避難している人への同情心を喚起するという意味合いで言っている面もあるかもしれませんが、それはもっと食糧とか物資、寝具などの具体的なケアとして気遣うべきです。
2つ目は、特別警報の位置付けです。強いメッセージとしてこうした警報を出すことにしたのはいいのですが、2018年の一連の災害の際に明らかになってきたのは「特別警報が出るような事態では、既に避難が危険になる」という問題です。仮にそうであれば、「特別警報」ではなく「警報」の段階が避難のタイミングだということを徹底しなくてはなりません。
そこで、「5段階の4番目」である「警報=レベル4」の段階が「全員避難」だということになっています。ですから、今回の鹿児島市では「全市59万人に避難指示」が出ています(4日午後7時までに一部を除いて避難指示は解除)。ですが、こちらにも問題があります。「全員」という言葉は建前であり、本当に59万人が避難所に移動したわけではないし、期待されてもいないというのが現実です。一部の報道では、実際に避難した人は1800人(0.3%)という数字もあるようです。
ということは、やはり「全市59万人」を対象に一斉に指示を出すというのは粗すぎると思います。ハザードマップの高精度化、カメラやセンサーによるリアルタイムな被害の状況などに基づいて地域ごとに絞り込んだ避難指示を、例えばですが「目標完了時刻」を設定して、そこから逆算して指示を出すとか、キメ細かく実施する体制が求められます。
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