コラム

「給料よりやりがい」の中吊り広告が炎上した理由

2019年06月13日(木)17時45分

そこで気になったのが「インナーブランディング」という考え方です。この企業は、やや極論をするならば「50万ではなく30万の給与でやる気を持って働いてもらいたい」とか「ありがとうという謝辞のやり取りに囲まれて、もっと頑張ってほしい」というメッセージを「企業から労働者に効率よく伝える」ための「内輪向けの忠誠心向上」を「インナーブランディング」だと考えている、そんな印象を持ったからです。

仮にそうであれば、これは大きな勘違いです。「インナーブランディング」というのは、2002年前後に、ハーバードのビジネススクール周辺で流行りだした思想です。それは、企業が社会貢献などのブランドイメージ発信を続けている場合に、企業内部の労働者がそのブランドの核となる思想を発信できるインフルエンサーになれば、企業のブランド発信力は飛躍的に高まる、そんな考え方です。

ですから、この「ハタコトレイン」の企画にあるような、下手をすると「やりがいの搾取」になりかねないような発想は、「インナーブランディング」とは無縁のものです。つまり、企業の求心力を高めて忠誠心を集め、生産性を向上しよう、そのためのメッセージを労働者に効果的に伝えようというのは、「インナーブランディング」とは言わないのです。

どうしてそんな勘違いが起きたのか、それはやはりデフレ経済が影を落としているのだと思います。同じように企業哲学を言語化し、新鮮で統一性のあるビジュアルを導入するにしても、本来のインナーブランディングというのは、労働者には労働市場で決定する水準あるいはそれ以上を分配した上で、さらに積極的に企業哲学のインフルエンサーになってもらう、つまり拡大志向の経営思想のはずです。

ですが、オープンな労働市場が成熟しておらず、その一方で消費における価格選好が厳しいデフレ経済の中では、賃金水準を抑制する一方で、企業哲学を忠誠心に変えて一方的な生産性向上に利用しようという、経営側の動機が強くなります。このコンサル会社は、そこにビジネスチャンスを見出しているのかもしれません。

だとすれば、その思想は労働者一般の利害とは鋭角的に対立するものです。そこに気付かずに、不特定多数が注目する媒体である「編成貸し切り広告」を展開してしまったところに、このキャンペーンの問題があると考えられます。

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!
気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きを
ウイークデーの朝にお届けします。
ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

BofA、生産性や収益向上へAIに巨額投資計画=最

ワールド

中国のレアアース等の輸出管理措置、現時点で特段の変

ワールド

欧州投資銀、豪政府と重要原材料分野で協力へ

ワールド

新たな米ロ首脳会談、「準備整えば早期開催」を期待=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 3
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地「芦屋・六麓荘」でいま何が起こっているか
  • 4
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 7
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 8
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    経営・管理ビザの値上げで、中国人の「日本夢」が消…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 10
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story