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オウム死刑で考えた──日本の「無宗教」の真実
アメリカ人から見れば、日本の宗教色は確かに薄い。およそ半分のアメリカ人が教会に通う。信仰心が強く、普段から布教活動をしている人も多い。キリスト教専門のラジオ局もテレビ番組もある。日頃から十字架のジュエリーを身に着けている人をよく見る。その1人があの有名なポップス歌手。十字架を着けるだけではなく、マリア様の別称を名乗って活動しているのに、半分冒涜的な内容の曲で有名なあの人。それでも、皮肉なことにキリスト教徒にもマドンナファンは多い。
生活レベルの話だけではない。政教分離をうたいながら、アメリカ政府関連のものにも宗教の要素が浸透している。公立の小学校で学生が毎朝唱える Pledge of Allegiance(忠誠の誓い)の中には One nation, under God(神様の下の一つ国)とあるし、大統領は就任式で、裁判で証言者は聖書に手を載せて誓う。また、ドル札には In God We Trust(われわれは神様を信用している)と書いてある。逆に、発行元の連邦準備銀行を信用していないのかと、ちょっと不安になるくらいだ。
そんなわが国に比べると、確かに日本は「無宗教」に感じる。でも、「無」ではない。上記の調査からも分かるように、何らかの信仰を持ったり、宗教っぽい行動を取ったりしている人がほとんど。占いや風水なども人気だ。さらに、宗教的なイベントも目立つ。盆踊りを踊ったり、お神輿を担いだり、神社仏閣でお祭りを楽しむことは毎年の風物詩。有名な話だが、日本人は生まれるときは神社、死ぬときはお寺、さらに近代だと結婚するときは教会にお世話になると、人生の節目にも宗教が必ず絡んでくる。
それだけを見ると日本は「有宗教」な国だ。でも他方で、毎週お説法を聞きにいったり、毎日お祈りをしたりする人は少ない。布教活動をする人とはめったに出会わないし、神様の思し召しに合わせて仕事や結婚相手を選んだり、人生のいろいろを決めたりする人もほとんどいない。
また、何かの信仰をもって、他宗教に対して排他的な考えや行動を取る人も見ない。現代の日本人が持つ宗教概念の下で戦争を起こしたり、他人を虐げたりすることもまずなさそう。結局は楽しい儀式を残しつつ、宗教のマイナス面を省けている。ほどよい塩梅の宗教観だと、僕はいつも感心している。
では、これをどう表現すればいいのか。無宗教はとりあえずやめてみよう。外国に比べると熱度が低いから「薄宗教」や「弱宗教」と言えるかもしれない。もしくは、都合のいいときにだけ利用しているから「コンビニエンス宗教」も考えられる。
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