コラム

イランの聖地で16人娼婦連続殺人事件が起きた『聖地には蜘蛛が巣を張る』

2023年04月15日(土)15時04分

イランで起こった連続殺人事件を題材に......『聖地には蜘蛛が巣を張る』

<イランの聖地として多くの巡礼者を集めるマシュハドで、「スパイダー・キラー」と呼ばれる殺人鬼が、街を浄化するために16人もの娼婦を殺害した......>

イラン出身で北欧を拠点に活動し、『ボーダー 二つの世界』(2018)で注目を集めたアリ・アッバシ監督の新作『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、20年以上前にイランで起こった連続殺人事件を題材にしている。2000年から2001年にかけて、イラン第2の都市にしてイスラム教シーア派の聖地として多くの巡礼者を集めるマシュハドで、"スパイダー・キラー"と呼ばれる殺人鬼が、街を浄化するために16人もの娼婦を殺害した。

映画化、TVドキュメンタリーされた事件

この事件については、イラン国内でも2020年にエブラヒム・イラジュザード監督が映画化し、日本でも『キラー・スパイダー』として映画祭で公開されている。

また、事件後の2003年には、イラン系カナダ人のジャーナリスト、マジアル・バハリが、事件の当事者や関係者に迫ったTVドキュメンタリー『And Along Came a Spider』(2003)が作られている。

そこにはスパーダー・キラーことサイード・ハナイ自身も登場する。敬虔な信者であるハナイは、自分にとって娼婦は人間ではないと語り、彼の兄弟も、人間であれば殺せるはずがないと語る。ハナイの息子は、父親の行為を支持する人々に後押しされるように、臆することなく父親を英雄視している。一方、犠牲になった娼婦の娘や父親の証言からは、ミソジニー(女性嫌悪)が根深くはびこる社会のなかで彼らの母親や娘がいかに過酷な生活を強いられてきたのかが浮き彫りになる。

「本作は連続殺人犯が誕生するまでの謎に迫った物語じゃない」

『キラー・スパイダー』と本作は、このTVドキュメンタリーから少なからぬヒントを得ているはずだが(アッバシ監督はプレスのインタビューで実際に言及している)、2作品を対比してみると興味深い。事件に対する着眼点に大きな違いがあり、本作におけるアッバシの意図がより明確になるからだ。

『キラー・スパイダー』は、信仰心の厚い平凡な工事現場作業員ハナイが、スパイダー・キラーに変貌を遂げていく過程を、時間をかけて描いている。そのきっかけになるのは、ひとりで外出し、タクシーを利用したハナイの妻が、運転手から娼婦と思われ、危険な目にあったことだ。怒りに駆られたハナイは運転手に思い知らせようとするが、歯が立たず、次第に娼婦に標的を定めるようになる。

このハナイの行動には、彼の母親の影響が大きい。妻の災難のことを知らない彼にその一件を持ち出すのは母親であり、彼は街の腐敗を苦々しく思っている母親に煽られるようにして一線を越える。また、女性がひとりで外出するだけで娼婦とみなされるような社会に対する視点も見逃せないが、イランには厳しい検閲があるので、監督の意図がどこまで反映されているのかは想像するしかない。

これに対して本作は、プレスに盛り込まれたアッバシのインタビューにある「本作は連続殺人犯が誕生するまでの謎に迫った物語じゃない」という発言が、『キラー・スパイダー』とは方向性が違うことを物語っている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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