コラム

野良犬たちの視線を通して見えてくる人間『ストレイ 犬が見た世界』

2022年03月17日(木)16時13分

『ストレイ 犬が見た世界』(C)2020 THIS WAS ARGOS, LLC

<トルコのイスタンブールで暮らす野良犬たちの世界が、野良犬たちの目線で描き出される>

アメリカで活動する香港出身の女性監督エリザベス・ローにとって長編デビュー作となるドキュメンタリー『ストレイ 犬が見た世界』では、トルコのイスタンブールで暮らす野良犬たちの世界が、野良犬たちの目線で描き出される。

舞台となるトルコでは、20世紀初頭に大規模な野犬駆除が行われたが、それに反対する抗議活動が広がり、今では安楽死や野良犬の捕獲が違法とされる国のひとつになっているという。自身も愛犬家であるロー監督は、2017年にそんなトルコを旅し、街を自由にうろつく野良犬のゼイティンと偶然に出会い、彼女を追いかけたことが作品の出発点になった。

動物は周縁へと追いやられていく

このように書くと単純なきっかけのように見えるが、本作におけるロー監督のアプローチについては、以下のふたつのことを知っておいてもよいだろう。

まず、ロー監督は2014年から短篇をコンスタントに発表して注目され、後述するように初期の2作品では、動物の安楽死と延命やネイティブ・アメリカンと狩猟など、動物と人間の関係を扱っている。つまり本作では、短篇で提示されたテーマが別のかたちで掘り下げられている。

もうひとつは、ロー監督が本作のコンセプトを考える上で重要な役割を果たしたものとして、路上の犬をモデルに生活していた古代ギリシャの哲学者ディオゲネスに関する作品、ジョン・バージャーのエッセイ「なぜ動物を観るのか?」(『見るということ』所収)、ダナ・ハラウェイの著作に言及していることだ(プレス参照)。

そのなかで、ここでまず振り返っておきたいのが、美術方面ではよく知られているバージャーの「なぜ動物を観るのか?」だ。その内容は、ロー監督の短編とも繋がりがあるように思える。

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『見るということ』ジョン・バージャー 笠原美智子訳(白水社、1993年)

20世紀の企業資本主義によって、人間と自然を繋いでいた伝統はすべて壊された。かつて、動物は人間と共に世界の中心に存在していた。動物の視線を親しみをもって受け入れる種は人間だけで、人間はその視線を返すことによって自分自身を認識する。だが、デカルトが人間と動物の関係に内在している二元論を人間の中に採り入れ、魂と肉体を完全に分け、肉体を物理学や力学の法則に依るものとし、魂がない動物は機械の法則に還元される。

その後、鉄道、電気、自動車など無数の発明によって、動物は周縁へと追いやられていく。動物が消滅する代わりに、人間はペットを飼うようになり、動物園が設立されていく。しかし、人間とペットの関係では両者の自立性は失われ、彼らそれぞれの生活の並行論は崩れる。動物園は動物を見せる機会を提供するが、そこにある視線は一方通行で、動物の視線は反れ、彼らは出会いを拒否する。そしてこんな記述がつづく。


「動物の周縁化の最終結果がここにある。人間社会の発達に決定的な役割を果たし、一世紀弱前まで、常にすべての人間が共に生きた、動物と人間との間に交わされた視線が失われつつある。動物を見ている来園者、視線を相手から返されることのない人間は孤独である。それは最終的に群れとして孤立していく種なのだろう」

ロー監督の短編『Last Stop in Santa Rosa』(15)の舞台は、カリフォルニア州にある「ブライトヘブン」という動物のホスピス。2、3年前に愛犬を亡くしたロー監督は、老いた動物の生死の問題に関心を持ち、リサーチを通して動物のホスピスのことを知った。この施設には、脚や目を悪くした馬、下半身不随や生まれつき盲目の犬など、安楽死させられる運命にあったたくさんの動物たちが引き取られている。

施設を運営する夫婦は、延命を絶対視しているわけではなく、動物にとっての終末がどのようなものなのかわからないとしつつ、まだ生きようとする動物に寄り添うように彼らをケアしている。ロー監督は、モノクロの詩的な映像で、残された時間を過ごす動物たちをとらえている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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