コラム

野良犬たちの視線を通して見えてくる人間『ストレイ 犬が見た世界』

2022年03月17日(木)16時13分

それにつづく短篇『Bisonhead』(16)の主人公は、あるネイティブ・アメリカンの家族だ。彼らの祖先は、バイソンの駆逐によって遊牧生活を放棄させられ、保留地に追いやられた。家族は、自分たちの狩猟権を守るためにかつての生活の場だったイエローストーンに向かい、国立公園の外にある限定されたわずかな狩猟区域でバイソンを狩る。

ロー監督は、国立公園を訪れた観光客の姿も映し出し、この家族と対置する。ガイドに促されるようにカメラを構える観光客にとって、バイソンは風景の一部に過ぎない。これに対して、家族の若い女性が、再会に感慨を覚えるかのように仕留めたバイソンの鼻や唇に触れる場面は、バージャーが書いていた動物と人間の二元論を思い出させる。

あらためて動物と人間の関係を見つめ直す

本作は、そうしたロー監督の短編を踏まえてみると、その世界がより興味深く思えるはずだ。本作でも、野良犬たちの視線を通して見えてくる人間を、大きくふたつに分けることができる。

ひとつは、野良犬たちが街ですれ違う通行人や路上で活動している人々だ。なかでも注目なのが、「女性の日」に路上に出て権利を訴える女性たちの列に、野良犬たちが紛れ込む場面だ。そこにはある意図が込められているように思える。そんな状況で野良犬たちは交尾をはじめる。それを見た若い女性は、「今はやめてちょうだい、彼女の同意を得てからよ」と語りかけ、年配の女性は、「この恥知らずめが」と怒鳴って、追い払おうとする。

本作には、犬のような生活を実践したディオゲネスの言葉が、何度となく挿入されるが、この場面はそんな言葉がなくてもこの哲学者のことを想起させる。なぜならディオゲネスには、道端で自慰に耽り、擦るだけで満足できると語ったという逸話があるからだ。しかし、この場面の女性たちには、野良犬が他者として何らかの意味を持つことはない。

これに対して、ロー監督が冒頭で触れたゼイティンと、さらに彼女と行動を共にすることも多いもう一匹のナザールを追うことで、もうひとつの人間の姿が見えてくる。それは、シリアのアレッポから逃れてきた難民の少年たちだ。彼らは、野良犬と戯れたり、路上で物乞いをしたりしながら、やがて取り壊されることになっている廃墟に寝泊まりし、ナザールも一緒に毛布に包まって寝ている。

野良犬と少年たちは、それぞれに自律性を保ちながら、路上や廃墟で痛みや飢えや温もりを分かち合う。動物と人間が視線を交わし、人間中心主義にとらわれない関係を築いているが、社会は彼らを引き裂こうとする。

ここで取り上げた短編と本作には共通点がある。安楽死を免れた動物たち、ネイティブ・アメリカンが断ち切られたバイソンとの関係を取り戻そうとすること、そして、野良犬たちとシリア難民の少年たちの出会いは、閉ざされた世界の裂け目であり、ロー監督はその裂け目からあらためて動物と人間の関係を見つめ直している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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