コラム

ドキュメンタリーの名匠が描くイラク、シリア、クルディスタンの国境『国境の夜想曲』

2022年02月10日(木)16時30分

ジャンフランコ・ロージ監督『国境の夜想曲』

<ジャンフランコ・ロージ監督が3年以上かけて巡ったイラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯を舞台に、そこに生きる人々の姿が描き出される>

以前コラムで取り上げたジャンフランコ・ロージ監督の『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』(16)では、ランペドゥーサ島を舞台に、島民の生活と中東やアフリカから命懸けでそこにたどり着く難民や移民の姿が描き出された。

それに続く新作『国境の夜想曲』では、ロージが3年以上かけて巡ったイラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯を舞台に、そこに生きる人々の姿が描き出される。その舞台は、前作の小さな島とは比べ物にならないくらい広く、世代やルーツが異なる様々な人々が暮らしている。

既成の境界とは違う空間を切り拓く

ロージはそれをどのようにしてひとつの世界にまとめ上げているのか。プレスには彼の以下のようなコメントがある。


「この映画の舞台は国境ですが、私は国境という認識を無効にしたいと思いました。なぜなら、国境とは政治に応じて再規定されるものだからです」

本作には、息子の命が奪われたかつての刑務所を訪れる母親、ISIS(イスラム国)に蹂躙され故郷を奪われた子供たち、ISISに連れ去られた娘からの音声メッセージを聞く母親、精神病院でセラピーとして行われる演劇の稽古をする患者たち、不在の父親に代わって猟をしたり、ハンターのガイドをして家族を支える少年など、様々な人物が登場する。ロージは、インタビューやナレーション、テロップなどを一切使わないので、彼らがそれぞれに国境地帯のどこで暮らし、どんな事情を抱えているのかは、はっきりとはわからない。

これはかなり大胆な試みのようにも見えるが、ロージの過去作を振り返ると、彼の独自の感性に裏打ちされた必然的なアプローチであることがわかるだろう。彼は、対象として選んだ地域に溶け込み、そこに生きる人々と時間をかけて信頼関係を築き、彼らから物語を引き出していく。さらに、「環」を描くように人と人を結びつけ、既成の境界とは違う空間を切り拓く。

「環」を描くように人と人を結びつける

最も分かりやすいのが、前々作の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』(13)だろう。そこには、ローマを取り巻く大動脈「環状線GRA」の周辺に生きる人々の姿が描き出されているが、ロージは、その地域の生活をジャーナリスティックに掘り下げようとしているわけではない。

ドキュメンタリーとしてありきたりなテーマを設定しても、ロージが出会った人々、没落貴族や救急隊員、ウナギ漁師、植物学者、トランスジェンダーの車上生活者が結びつくことなどあり得ない。彼はある意味で、環状線のイメージを利用し、環を描くようにして切り拓かれる空間の象徴にし、そうした人々が結びつくような世界を作り上げている。

前作の『海は燃えている』からも、舞台となる島とは違う独自の環が浮かび上がる。以前とは違い、移民・難民との接触が島から海上へと移行していたため、ロージは島に住むだけでなく、海上で任務にあたるイタリア海軍哨戒艇で一か月を過ごし、島民の日常、海上での救助作業、島の検査所に収容された移民・難民の生活などをもとに環を形作っていく。

その環には、島と海をめぐってあるイメージを喚起するようなエピソードが盛り込まれている。そのイメージは、映画の原題である「Fuocoammare(海の炎)」とも関係がある。原題は曲名からとられていて、その曲は、第二次大戦中に港に停泊していた艦船が連合軍に爆撃され、深夜に海が真っ赤に燃え上がり、漁師が夜に海に出るのを恐れたという、島民に語り継がれる逸話から生まれた。映画では、主人公ともいえる島民の少年に、彼の祖母が戦時中の逸話を語り、別の島民がDJにこの曲をリクエストする。そんな逸話が喚起するイメージが、現在の状況とも結びつき、日常と非日常が隣り合わせにあるひとつの世界にまとめ上げられている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

実質消費支出5月は前年比+4.7%、2カ月ぶり増 

ビジネス

ドイツ、成長軌道への復帰が最優先課題=クリングバイ

ワールド

米農場の移民労働者、トランプ氏が滞在容認

ビジネス

中国、太陽光発電業界の低価格競争を抑制へ 旧式生産
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 7
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 6
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story