コラム

旧態依然とした社会の腐敗を暴き出すドキュメンタリー『コレクティブ 国家の嘘』

2021年10月01日(金)15時59分

さらに、以前コラムで取り上げたクリスティアン・ムンジウ監督の『エリザのために』(16)もヒントになるだろう。医師である父親ロメオは、卒業試験の直前に暴漢に襲われた娘エリザを、なんとしても留学させるために人脈を利用し、倫理に背くことも辞さない。そんな彼は、娘を説得するためこのように語る。


「1991年、民主化に期待し母さんと帰国したが、失敗だった。自分たちの力で山は動くと信じたが、実現しなかった。後悔はない、やれることはやった。でも、お前には別の道を歩んでほしい」

エリザの両親は、チャウシェスク時代には海外に逃避し、民主化に期待して戻ってきた。父親の言う「山」がどういうものであるのかは、政治学者ジョゼフ・ロスチャイルドの『現代東欧史』の以下のような記述から察せられるだろう。

514B9HAG.jpg

『現代東欧史 多様性への回帰』ジョゼフ・ロスチャイルド 羽場久浘子・水谷驍訳(共同通信社、1999年)


「権力の集中と特権の構造はチャウシェスクの没落ののちまでしぶとく生き延びた。強制、恐怖、疑惑、不信、離反、分断、超民族主義といった政治文化がルーマニアで克服されるまでには長い時間が必要である。結局のところこうした文化は、半世紀にもおよぶ共産主義支配によってさらに強化される前から、すでにルーマニアの伝統となっていたからである」

『ラザレスク氏の最期』や『エリザのために』には、共通点がある。救急車で運ばれるとか、暴漢に襲われて留学が危うくなるなど、日常生活のなかでひとつ歯車が狂ったとき、旧態依然とした社会が露わになり、主人公がもがき苦しむことになる。

ドキュメンタリーで鋭く掘り下げられる闇の深さ

本作には、そんなことを踏まえて注目したい場面がふたつある。

ひとつは、内部告発者ロイウと保健相ヴォイクレスクが対面する場面だ。記者へのリークに疑問を呈した保健相に対して、彼女は以下のように語る。


「病院での一番最近の死者は12月まで生き延びた女性です。ひどい感染症でした。緑膿菌が耳にまで。皮膚の火傷は10〜15%だけ。気道の火傷も死因ではありません。病院では顔をシーツで覆い隠していました。思わず言いましたよ、"生きてるのになぜ顔を覆うの?"。 でも誰も気にしません。医師たちは心付けを渡していました。外科医長にです。担当する手術が増えれば患者たちから受け取る心付けも増える」

そんな病院にはまさに旧態依然とした社会を見ることができる。

そしてもうひとつ、本作の終盤で保健相ヴォイクレスクが、前向きに生きる生存者に対してこのように告白する。


「この職に就いて分かった。国の体質は大臣で決まるわけじゃない。腐敗の根は深い。地下の部分が腐ってる。この省の状況の9割が時代遅れ? そう言える。芯まで腐敗しているか、あるいはやる気を失っている。彼らは何もしようとしない。だから今回の選挙について想像すると怖くなる。投票率が低ければ社会民主党が勝つだろう。そして彼らは他の守旧勢力と手を組む。彼らは全部、元に戻したがるだろう。古くさい国に逆戻りだ」

そんなヴォイクレスクの不安は的中する。彼もまた保健相に就任することで旧態依然とした社会を目の当たりにしたといえる。

これまでニューウェーブ作品が描き出してきた現実が、このようにドキュメンタリーというかたちで鋭く掘り下げられると、あらためてその闇の深さを痛感させられる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ヘッジファンド、銀行株売り 消費財に買い集まる=ゴ

ワールド

訂正-スペインで猛暑による死者1180人、昨年の1

ワールド

米金利1%以下に引き下げるべき、トランプ氏 ほぼ連

ワールド

トランプ氏、通商交渉に前向き姿勢 「 EU当局者が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 2
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 10
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story