コラム

監督の子供時代の思い出に着想を得た韓国系移民家族の物語『ミナリ』

2021年03月18日(木)18時21分

監督自身の子供時代の思い出に着想を得た韓国系移民の家族の物語 © 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.

<アカデミー賞で6部門にノミネートされた『ミナリ』は、監督自身の子供時代の思い出に着想を得た韓国系移民の家族の物語......>

世界の映画祭を席巻し、本年度アカデミー賞で6部門にノミネートされたリー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』は、監督自身の子供時代の思い出に着想を得た韓国系移民の家族の物語だ。

舞台は1980年代のアメリカ南部。物語は、ジェイコブと妻のモニカ、長女のアンと弟のデビッドが、アーカンソー州の高原にたどり着くところから始まる。これまでカリフォルニアで暮らし、10年も孵卵場でヒヨコの雌雄鑑別の仕事を続けてきたジェイコブは、農業で成功することを夢見てその土地を選んだ。だがモニカは、何もない土地と安普請の車輪付き平屋を目の当たりにして愕然とする。

夢を追うジェイコブと都会の韓国系コミュニティで子育てしたいモニカの関係がぎくしゃくするため、夫婦はモニカの母を韓国から呼びよせ、子供たちの世話をまかせることにする。やって来た祖母は毒舌の型破りな人物で、弟のデビッドを大いに戸惑わせるが、あるいたずらをきっかけに絆を深めていく。だが、農場の水が干上がり、取引先も当てにならず、家族に次々と災難が降りかかる。

監督の子供時代の思い出から個性的な人物を作り上げる

チョン監督は子供時代の思い出から、実に個性的な人物を作り上げている。

デビッドは祖母が来ると聞いて、クッキーを焼いてくれる優しいおばあちゃんを想像していたが、その予想は見事に外れる。祖母が初めて会う7歳の孫にみやげとして差し出すのは花札で、今から覚えれば強くなれると言って平気な顔をしている。料理はできず、テレビのプロレス中継に興奮して声を上げている。一家が教会に行ったときには、回ってきた献金のトレイからモニカが入れた札をくすねる。

それから、ジェイコブに雇われて農場で働くことになるポール。彼には他のキリスト教徒とは違う強烈な信仰心があり、その行動はときに奇異に映る。耕した畑に苗を植えるときに、唐突に悪魔祓いを始める。ジェイコブがタバコを勧めると、恐ろしいものを見るように身を引いて拒む。一家が教会の帰りに偶然ポールに出会ったとき、彼は大きな十字架を肩にかけて引きずるように田舎道を歩いている。

しかし、チョン監督が思い出を巧みに構成し、個性豊かな人物を盛り込むだけでは、本作のように人を深く引き込み、特別な印象を残す世界を切り拓くことはできない。そこには、人物やエピソードをしっかりと結びつけていく独自の視点が埋め込まれている。

女性作家フラナリー・オコナーの作品の影響

そこで筆者が注目したいのが、チョン監督が南部出身の女性作家フラナリー・オコナーの作品の影響を口にしていることだ。ただし、本人は以下のようにしか語っていない。


「オコナーの作品では、読者が最も好きになれない登場人物が、他者に対して恵みと救いの手を差し伸べる。僕はそういう意外な展開が好きで、すごく励まされる」(プレスより)

この発言は、後述するようにオコナーの作品の重要な部分に触れてはいるが、影響はそれだけではないように思える。筆者はこの発言を目にする前に、本作を観ながらオコナーの作品を連想していた。

たとえば、監督自身が投影された少年デビッドが、心臓病を抱えている設定になっていることだ。オコナーは紅斑性狼瘡という難病を患い、39歳で没したが、そうした背景が様々なかたちで登場人物に投影されている。

oba20210318b.jpg

『フラナリー・オコナー全短篇【上】』フラナリー・オコナー 横山貞子訳(筑摩書房、2003年)『秘儀と習俗──フラナリー・オコナー全エッセイ集』フラナリー・オコナー 上杉明訳(春秋社、1999年)

短篇『田舎の善人』に登場する32歳の女性ジョイは、10歳のときに狩猟中の事故で片足を失い、「十分に手をつくせば、ジョイは四十五歳までは生きるでしょうと医者から言われている。心臓が弱いのだ」と表現されている。短編『火の中の輪』で「女の子は十二歳で顔色が青白い。太っていて斜視ぎみで、大きな口の中には銀の歯列矯正ブリッジがぎっしりかかっている」と表現される少女は、いつもなにかに隠れるように周囲の出来事を見守る。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ゼレンスキー氏、和平巡る進展に期待 28日にトラン

ワールド

前大統領に懲役10年求刑、非常戒厳後の捜査妨害など

ワールド

中国、米防衛企業20社などに制裁 台湾への武器売却

ワールド

ナジブ・マレーシア元首相、1MDB汚職事件で全25
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 4
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 5
    「時代劇を頼む」と言われた...岡田准一が語る、侍た…
  • 6
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 7
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 8
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 10
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story