ポーランドで過去を偽り聖職者となった青年の実話に心揺さぶられる『聖なる犯罪者』
田舎の村が社会の縮図になっていく
見逃せないのは、町長であり、製材所のオーナーでもあるバルケビッチの存在だ。ダニエルが事故について調べていることを知った彼は、蒸し返そうとすれば司祭と話して辞めさせることもできると圧力をかける。それに対してダニエルは、「あなたは権力者だが、正しいのは私だ」と答え、対立が深まっていく。
ちなみに、コマサ監督は海外のインタビューで、彼がアンドレイ・ズビャギンツェフのファンで、特に本作については、以前コラムでも取り上げた『裁かれるは善人のみ』にインスパイアされたと語っている。
確かに、この二作品には興味深い接点がある。『裁かれるは善人のみ』も舞台は辺境の町で、強欲な市長が権力に物をいわせて主人公コーリャの土地を奪おうとする。弁護士を呼んで抵抗しようとするコーリャに対して、市長は実力者の司祭に相談を持ちかけ、彼を追い詰めていく。
ズビャギンツェフは、コーリャの後妻リリアを通して、そんな対立のなかで疎外されていく女性の立場を印象深く描いていたが、本作にも同様の視点がある。事故で兄を失い、ダニエルと親密な関係になる少女マルタもまた、孤立し、居場所を失っていくことになる。
本作では、『裁かれるは善人のみ』と同じように、田舎の村が社会の縮図になっていくが、筆者が特に注目したいのは、脚本を手がけたパツェヴィチが、なぜ権力者を盛り込み、対立の図式をつくったのかということだ。彼は海外のインタビューで、脚本を書くにあたってメノッキオを参考にしたと語っている。
異端審問にかけられ焚刑に処せられた粉挽屋メノッキオ
メノッキオとは、16世紀のイタリアで、確信をもって攻撃的に独自の思想を開陳し、異端審問にかけられ焚刑に処せられた粉挽屋だ。そこで、メノッキオの異端のコスモロジーを伝えるカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』から、パツェヴィチが影響を受けたと思われる粉挽屋の言葉を抜き出してみたい。
「私は教会の教える律法と戒律はすべて売り物であり、教会はそれで生きている」
「私たちが生まれたときから私たちは洗礼されている。なぜなら、すべてのものを祝福される神は私たちをも祝福するからだと私は思う。また、洗礼の秘蹟はひとつの発明品であり、聖職者たちは誕生の前に人びとの魂を食べ始め、人びとの死後に至るまでずっと魂を食べ続けるのだと思う」
「私は、神の精神は私たちひとりひとりのうちにあると思う。また学問したことのある人間はすべて叙品されなくても聖職者となりえよう。なぜなら叙品といったことはすべて売り物だからである」
本作では、ダニエルにメノッキオが重ねられ、メノッキオの言葉にある「売り物」を権力者バルケビッチが体現している。バルケビッチが作った新工場の開所式に司祭の代理として招かれたダニエルが、欲望を病として戒め、集まった人々を跪かせる場面には、そんな図式を見ることができる。
ダニエルは、敵対する司祭にはめられ異端審問にかけられたメノッキオと同じような運命をたどるが、追い詰められても信念を曲げず、最後のミサでトマシュではなくダニエル自身になる。本作に心を揺さぶられるのは、そこにメノッキオのラディカリズムが巧妙に埋め込まれているからだろう。
《参照/引用文献・記事》
・CORPUS CHRISTI, interview by Step hen Porzio | Europa-cinemas.org 18/09/2019
・Playing with the meanings; Jan Koma sa on Andrey Zvyagintsev, Corpus Chris ti, Bartosz Bielenia and Christopher Wal ken by Anne-Katrin Titze | Eye For Fil m 30/10/2019
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