コラム

ポーランドで過去を偽り聖職者となった青年の実話に心揺さぶられる『聖なる犯罪者』

2021年01月14日(木)16時30分

田舎の村が社会の縮図になっていく

見逃せないのは、町長であり、製材所のオーナーでもあるバルケビッチの存在だ。ダニエルが事故について調べていることを知った彼は、蒸し返そうとすれば司祭と話して辞めさせることもできると圧力をかける。それに対してダニエルは、「あなたは権力者だが、正しいのは私だ」と答え、対立が深まっていく。

ちなみに、コマサ監督は海外のインタビューで、彼がアンドレイ・ズビャギンツェフのファンで、特に本作については、以前コラムでも取り上げた『裁かれるは善人のみ』にインスパイアされたと語っている。

確かに、この二作品には興味深い接点がある。『裁かれるは善人のみ』も舞台は辺境の町で、強欲な市長が権力に物をいわせて主人公コーリャの土地を奪おうとする。弁護士を呼んで抵抗しようとするコーリャに対して、市長は実力者の司祭に相談を持ちかけ、彼を追い詰めていく。

ズビャギンツェフは、コーリャの後妻リリアを通して、そんな対立のなかで疎外されていく女性の立場を印象深く描いていたが、本作にも同様の視点がある。事故で兄を失い、ダニエルと親密な関係になる少女マルタもまた、孤立し、居場所を失っていくことになる。

本作では、『裁かれるは善人のみ』と同じように、田舎の村が社会の縮図になっていくが、筆者が特に注目したいのは、脚本を手がけたパツェヴィチが、なぜ権力者を盛り込み、対立の図式をつくったのかということだ。彼は海外のインタビューで、脚本を書くにあたってメノッキオを参考にしたと語っている。

異端審問にかけられ焚刑に処せられた粉挽屋メノッキオ

メノッキオとは、16世紀のイタリアで、確信をもって攻撃的に独自の思想を開陳し、異端審問にかけられ焚刑に処せられた粉挽屋だ。そこで、メノッキオの異端のコスモロジーを伝えるカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』から、パツェヴィチが影響を受けたと思われる粉挽屋の言葉を抜き出してみたい。

oba20200114b.jpg

『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』カルロ・ギンズブルグ 杉山光信訳(みすず書房、1984年)


「私は教会の教える律法と戒律はすべて売り物であり、教会はそれで生きている」


「私たちが生まれたときから私たちは洗礼されている。なぜなら、すべてのものを祝福される神は私たちをも祝福するからだと私は思う。また、洗礼の秘蹟はひとつの発明品であり、聖職者たちは誕生の前に人びとの魂を食べ始め、人びとの死後に至るまでずっと魂を食べ続けるのだと思う」


「私は、神の精神は私たちひとりひとりのうちにあると思う。また学問したことのある人間はすべて叙品されなくても聖職者となりえよう。なぜなら叙品といったことはすべて売り物だからである」

本作では、ダニエルにメノッキオが重ねられ、メノッキオの言葉にある「売り物」を権力者バルケビッチが体現している。バルケビッチが作った新工場の開所式に司祭の代理として招かれたダニエルが、欲望を病として戒め、集まった人々を跪かせる場面には、そんな図式を見ることができる。

ダニエルは、敵対する司祭にはめられ異端審問にかけられたメノッキオと同じような運命をたどるが、追い詰められても信念を曲げず、最後のミサでトマシュではなくダニエル自身になる。本作に心を揺さぶられるのは、そこにメノッキオのラディカリズムが巧妙に埋め込まれているからだろう。

《参照/引用文献・記事》
・CORPUS CHRISTI, interview by Step hen Porzio | Europa-cinemas.org 18/09/2019
・Playing with the meanings; Jan Koma sa on Andrey Zvyagintsev, Corpus Chris ti, Bartosz Bielenia and Christopher Wal ken by Anne-Katrin Titze | Eye For Fil m 30/10/2019

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story