コラム

90年代韓国に実在した対北工作員の物語『工作 黒金星と呼ばれた男』

2019年07月18日(木)20時00分

軍事主義や軍事化が人々に及ぼす影響を掘り下げる

本作は冒頭に「黒金星をもとにしたフィクション」という前置きがあるように、どこまでが真実かはわからないが、注目しなければならないのは、題材に対するユン・ジョンビンのアプローチだろう。彼はこれまで、朝鮮王朝末期を背景にした『群盗』を除く『許されざるもの』、『ビースティ・ボーイズ』、『悪いやつら』の3作品で、軍事主義や軍事化が人々に及ぼす影響を様々な角度から掘り下げてきた。本作もそんなテーマと深く関わっていることは、『韓国フェミニズムの潮流』に収められた「我われの生に内在する軍事主義」の以下のような記述を踏まえれば、容易に察することができるだろう。


 「北朝鮮を極端に敵視し、この集団に対する敵愾心と恐怖心、そして戦争の可能性を繰り返し強調することによる緊張感の造成、国家防衛の神聖化、米軍駐屯に対する大衆の一般的支持、国民皆兵制、三〇余年の軍事政権支配を可能にした諸々の要因、広範に行きわたっている多様な理念と価値体系、細分化された文化等を包括しながら総体的に進行してきた一つの社会の軍事化過程」

ooba0718a.jpg

『韓国フェミニズムの潮流』チャン・ピルファ、クォン・インスク他 西村裕美・編訳(明石書店、2006年)

そして、先述した3作品のなかでも、『悪いやつら』と本作には、ある種の共通点がある。『悪いやつら』は、チョン・ドゥファンの後を継いだノ・テウ大統領が、組織犯罪の一掃を目指して1990年に始めた"犯罪との戦争"を背景にしている。その冒頭では、陸軍士官学校で同期だったチョン・ドゥファンとノ・テウが軍服姿で肩を並べる写真が映し出される。また、ユン監督は、犯罪との戦争について以下のように語っている。


 「ノ・テウ大統領が当選した後、チンピラたちが政界を力で支えているのは自分たちだと暴れ出した。彼らが問題を起こし始めたので、"犯罪との戦争"という巨大なショーが企画された」(プレスより引用)

そこで注目したいのが主人公のイクヒョンだ。公務員だった彼は、犯罪に手を染め、たまたま出会った犯罪組織のボスが遠い親戚だったことから、犯罪組織や警察を利用してのし上がろうとする。つまり、極道でも堅気でもない"ハンパ者"のサバイバルを通して、同じ根を持つ集団の姿が炙り出されていく。

本作の黒金星は、そんなハンパ者の存在をさらに発展させたキャラクターともいえる。彼は工作活動を通して徐々に変化し、組織の駒ではなくなる。彼と北のリ所長の間には、奇妙な信頼関係が芽生え、共同事業そのものが価値を持つようになる。そして、北風工作によって追い詰められた黒金星は、上司のチェ室長や安企部が、国家や民族のためといいながら、与党のために動いていることを見抜き、"冒険"に乗り出す。それは彼が軍事主義に挑むことを意味している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

相互関税は即時発効、トランプ氏が2日発表後=ホワイ

ワールド

バンス氏、「融和」示すイタリア訪問を計画 2月下旬

ワールド

米・エジプト首脳が電話会談、ガザ問題など協議

ワールド

米、中国軍事演習を批判 台湾海峡の一方的な現状変更
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story