東ドイツの「過去の克服」を描く『僕たちは希望という名の列車に乗った』
そして、以下のような記述がつづく。
「このような見方からすれば、ナチ体制の反共産主義がその人種的反ユダヤ主義よりはるかに重要に見えたのも当然であったし、とくにドイツ労働者階級がヒトラー独裁の犠牲者に仕立て上げられ、ドイツ民族はヒトラーに欺かれ、利用されたことになる。この見方には、東ドイツ住民の責任を軽減する効果が大いにあった。この点は、東ドイツの歴史理論がファシズムを資本主義の普遍的な発展問題として解釈することによってさらに強められた」
若者とその親たちが、切迫した状況のなかで過去と向き合う
本作はそんな背景を踏まえてみると、人物の設定がより興味深くなる。クラウメは、黙祷を行った生徒のなかで、冒頭で触れたテオとクルト、そしてもうひとりのエリックという3人の若者に注目し、それぞれの親との関係を掘り下げていく。
テオは労働者の家庭で育ち、父親は製鋼所で働いている。国民教育大臣と面識があったその父親は、息子を守るために直談判に行くが、彼らのやりとりからは、父親が数年前にある事件に関わり、不満を抱えた労働者とみなされていることがわかる。そんな父親とテオの関係は複雑だ。父親には体制に反抗する息子の気持ちがわかるが、家族の悲願である進学の機会を失ってほしくない。やがてテオは、父親が劣悪な環境で酷使されていることを知る。
クルトの父親は市議会議長で、息子が西ベルリンに墓参りに行くことを快く思っていない。そこに眠るのは母方の祖父で、彼が武装親衛隊だったからだ。父親の立場を考えればその気持ちもわからないではないが、彼はそのことで母親まで蔑視している。そこには、悪との間に一線を引くことで自己を正当化しようとする姿勢が垣間見える。そんな家族の関係はやがて崩れていくが、そこに絡んでくるのがもうひとりの若者の存在だ。
エリックは体制寄りで、級友たちと距離を置いているところがある。その理由は親との関係から察せられる。父親はこの世になく、母親は聖職者と再婚している。実父はドイツ共産党の準軍事組織RFB(赤色戦線戦士同盟)の一員だった。エリックは、英雄であるその父親を心の拠り所にしている。だが、冷酷な郡学務局員がある真実を告げたとき、自分を見失った彼は暴走していく。そして、彼の運命がクルトの一家にも影響を及ぼす。
そこで筆者が思い出すのは、『アイヒマンを追え!〜』の冒頭に挿入されるフリッツ・バウアー本人の映像だ。彼はカメラに向かって以下のように語っていた。
「ドイツの若い世代なら可能なはずだ。過去の歴史と真実を知っても克服できる。しかしそれは、彼らの親世代には難しいことなのだ」
その言葉は本作にも当てはまる。若者とその親たちが、切迫した状況のなかで過去と向き合い、それぞれに選択していく運命からは、「過去の克服」というテーマが鮮明に浮かび上がってくる。
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