コラム

人間が登場しない廃墟の映像が語るもの:映画『人類遺産』

2017年03月03日(金)11時30分

世界が分断されつつある時代を生きる私たちの不安

では彼は、そんな対話を通してなにを喚起しようとしているのか。そのヒントは、彼の旧作『プリピャチ』(99)にあるように思える。この映画では、チェルノブイリ原発事故から12年が経過した時点で、立ち入りが禁じられた"ゾーン"に暮らしていたり、あるいはそこで働いている人々の姿が映し出される。タイトルのプリピャチとは、原発から4kmに位置し、事故後に廃墟となった街の名前と、付近を流れる川の名前を意味している。

ゲイハルターは、そんなふたつのプリピャチに象徴される廃墟と自然を対置し、その狭間で人々の物語を引き出していく。なかでも特に印象に残るのが、かつてプリピャチに暮らし、いまもゾーンのなかにある環境研究所で働く女性が、映画の終盤に我が家だった集合住宅を訪れる場面だ。

カメラはかつての我が家への道をたどる女性の後姿を延々の映し、その間に彼女の意識は過去と現在を往き来する。一方では、昔の様子や生活を語る。もう一方では、草木に覆われつつある道を進むうちに、事故前には生えてなかったりんごの木に気づき、自然の力だと語るのだ。

ゲイハルターがこの場面に時間を割いたのは、廃墟が自然に取り込まれていく状況のなかで、そこに暮らした人々の営みがより際立ち、想像力を喚起すると感じていたからだろう。この新作は、そんな場面から語り部となる女性が消えた光景と見ることができる。

この映画では、そこに生きた人々の物語を想像させるような光景が、なんの情報もないままに積み重ねられていく。そのとき国境のような境界は消え去り、世界はボーダーレスになる。

さらに、政治や宗教、消費社会などを象徴する様々な建造物が等しく朽ち果てていくのを目にするとき、個人のアイデンティティも解体され、ただ人間として私たちが未来になにを遺そうとしているのかを考えざるをえなくなる。世界が分断されつつある時代に、このようなヴィジョンを切り拓き、人間と地球を見つめ直すことには大きな意味があるように思える。

《参照文献》
『廃墟論』クリストファー・ウッドワード 森夏樹訳(青土社、2003年)
An interview with Nikolaus Geyrhalter | Independent Magazine

○『人類遺産』
3月4日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
(C)2016 Nikolaus Geyrhalter Filmproduktion GmbH

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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