コラム

ナチスの戦犯アイヒマンを裁く「世紀の裁判」TV放映の裏側

2016年04月14日(木)15時50分

裁判は4ヶ月に渡り、リアルタイムで編集されて、世界37カ国で放映された

 しかし、この映画で強烈な印象を残すのは、制作チームの間に生じる緊張だ。監督に指名されたフルヴィッツは、法廷に4台のカメラを設置し、判事、アイヒマン、検事と弁護人、証人と傍聴席をとらえる。彼自身は隣接する建物に用意したコントロールルームにスタッフと陣取り、4台のモニターを同時にチェックし、映像を切り替える指示を出す。録画されるのは彼が選択したカメラの映像だけなので、リアルタイムで編集を進めていることになる。しかも、英語しかわからないアメリカ人の彼には、ヘブライ語やドイツ語のやりとりが理解できないため、視覚的な情報を頼りに映像を選択していたといわれる。

 その結果、このコントロールルームは特殊な空間になる。彼らは、裁判を傍聴したハンナ・アーレントがプレスルームで目にしていた映像や、私たちがシヴァンのドキュメンタリーで見る映像には残らなかった多くの光景を目撃している。そこでは、証人たちが恐ろしい体験を語り、アイヒマンが表情ひとつ変えることなく、淡々と罪状を否認するというやりとりが繰り返される。そんな状況が四ヶ月もつづけば、平常心を保つことは困難になるに違いない。

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』


 すべてイスラエル人で構成されたカメラマンのなかには、記憶がよみがえり、憔悴しきって操作ができなくなる人間が出てくる。そして、フルックマンとフルヴィッツの間に亀裂が生じる。イスラエル人と結婚し、イスラエルと深く関わっていたフルックマンは、ホロコーストの真実を世界に伝えようとした。これに対して、フルヴィッツは、ユダヤ系ではあるもののイスラエルという国家に疑問を持ち、また、アイヒマンは決してモンスターなどではなく、誰もが状況によってファシストになり得ると考えていた。そんな彼は、アイヒマンが人間的な感情を露にする一瞬をとらえることに執着するようになり、証人が激しい緊張のために卒倒する決定的な瞬間を逃してしまう。

 この映画の前半で、フルヴィッツがイスラエル人のカメラマンたちと対面し、持論を展開したとき、彼らのひとりが、「アイヒマンは、私たちと同じ人間ではない。私は、アイヒマンのようには決してならない」と断言する。映画の終盤で、収容所の生存者から、ホロコーストの真実を明らかにしたことに対して、個人的に感謝の気持ちを伝えられた彼は、どこか複雑な思いを抱えているように見える。結局、フルヴィッツは、善と悪、被害者と加害者の間に絶対的な一線を引くための裁判に呑み込まれたといえる。

アイヒマン裁判の映像は、封印された・・

 そこで最後に思い出しておきたいのが、イスラエル出身のアリ・フォルマン監督がドキュメンタリーとアニメーションを融合させた斬新なスタイルで作り上げた『戦場でワルツを』(08)のことだ。監督の実体験に基づくこの映画では、悪夢に悩まされる主人公が、24年前の1982年にレバノン侵攻に従軍したときの記憶を取り戻していく。レバノン侵攻は、イスラエルが自ら戦端を開いた最初の戦争で、パレスチナ難民が虐殺されるサブラ・シャティーラ事件という悲劇を招いた。イスラエルの作家アモス・オズ『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』では、以下のように書かれている。


 「レバノン戦争のことは何もかも、みんなで忘却の穴倉に押し込めてしまった。約700人の兵士が戦死したのにたいして、敵の戦死者は数千にのぼった。また一万人以上の市民が犠牲になったといわれる。この悪事をしかけた側から見ても『罪のない人』が、である」

 忘れられかけたホロコーストの闇を徹底的に暴いた国が、今度はジェノサイドを忘却する。シヴァンが発掘するまでアイヒマン裁判の映像が封印され、忘れられていたのも頷ける気がしてくる。


《参照/引用文献》
"Jerusalem, Take One! Memoirs of a Jewish Filmmaker"by Alan Rosenthal (Southern Illinois University Press, 2000)
『七番目の百万人――イスラエル人とホロコースト』トム・セゲフ 脇浜義明訳(ミネルヴァ書房、2013)
『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』 アモス・オズ 千本健一郎訳(晶文社、1993)

○映画情報
『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』
監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
公開:4/23(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA他全国ロードショー

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、石炭火力発電支援へ 国防総省に電力契約

ワールド

EU、CO2無償排出枠の見直し検討 炭素市場改革

ビジネス

パラマウント、WBD買収条件引き上げ 違約金など負

ビジネス

円続伸し153円台後半、ドルは弱い指標が重し
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:習近平独裁の未来
特集:習近平独裁の未来
2026年2月17日号(2/10発売)

軍ナンバー2の粛清は強権体制の揺らぎか、「スマート独裁」の強化の始まりか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 2
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...周囲を気にしない「迷惑行為」が撮影される
  • 3
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トランプには追い風
  • 4
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を…
  • 5
    崖が住居の目の前まで迫り、住宅が傾く...シチリア島…
  • 6
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 7
    変わる「JBIC」...2つの「欧州ファンド」で、日本の…
  • 8
    衆院選で吹き荒れた「サナエ旋風」を海外有識者たち…
  • 9
    【銘柄】「ソニーグループ」の株価が上がらない...業…
  • 10
    まさに「灯台下暗し」...九州大学の研究チームが「大…
  • 1
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた実験室」に...抗生物質の「不都合」な真実とは
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    がんの約4割は、日々の取り組みで「予防可能」...予…
  • 5
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...…
  • 6
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 7
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 8
    グラフが示す「米国人のトランプ離れ」の実態...最新…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 4
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 7
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 8
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 9
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
  • 10
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story