コラム

『ブンミおじさんの森』で世界的に注目されるアピチャッポン監督の最新作

2016年03月04日(金)17時00分

『ブンミおじさんの森』のアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の新作『光りの墓』。

 『ブンミおじさんの森』(2010)でカンヌ映画祭のパルムドールに輝き、世界的な注目を集めるアピチャッポン・ウィーラセタクンは、少年時代から大学生までの多感な時期をタイ東北部イサーン地方の町コーンケンで過ごした。現在の彼はチェンマイ在住だが、そのインスピレーションの源はイサーンにあり、映画もそこで作っている。新作の『光りの墓』(2015)も例外ではない。

 物語は、コーンケンにあるかつて学校だった仮設病院に、松葉杖をついた主婦ジェンが知人の看護師を訪ねるところから始まる。病室に並ぶベッドには、男たちが寝返りを打つこともなく眠っている。やがて彼らがみな兵士で、原因不明の"眠り病"にかかっていることがわかる。ジェンはボランティアとして、見舞いの家族がいない兵士イットの世話をするようになる。さらにその病室で、死者や失踪者の魂と交信したり、前世を見たりする特殊能力を持つ若い女性ケンと出会い、親しくなる。そんなジェンとケン、イットは、いつしか現実と夢、生と死、現在と埋もれた歴史の境界が曖昧になる奇妙な空間に引き込まれていく。

クメールのアニミズムを伝えるタイ東北部

 『ブンミおじさんの森』に登場するブンミは、死の間際に未来を訪れ、独裁者に支配された世界を目の当たりにする。タイでは2014年5月に軍事クーデターが起こり、いまも先行き不透明な状況が続いている。タイにおける政治的な対立は、地域による著しい経済格差に起因し、イサーンもこの問題と深く結びついている。イサーンは経済的な貧困を代表する地域のひとつで、軍事クーデターでは、抗議デモを抑え込むために軍の部隊が派遣されたという。『光りの墓』にはそんな現実が反映されているようにも見える。冒頭では活動中の兵士の姿が映し出され、眠り病にかかるのも兵士に限られているからだ。

 しかし、アピチャッポンが愛着を持っているのは、そんな図式から見えてくる場所ではない。ラオスとカンボジアに接するイサーンは、その歴史を遡ると単純にタイという国の一地域とはいえなくなる。10〜13世紀にはアンコール朝が勢力を拡大し、クメール文化が浸透した。14〜17世紀にはメコン川沿いからラオ系のラーンサーン王国が台頭し、ラオ化が進んだ。そして、19世紀末から20世紀前半にかけてバンコクを頂点とする中央集権化が、信仰や教育などを通して進行する。アピチャッポンはインタビューでイサーンについて、「僕にとっては、クメールのアニミズムを伝える、とてもカラフルな場所です」(プレスより)とも語っている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国EV3社、EUの関税措置巡り異議申し立て

ワールド

トランプ氏、プーチン氏と近く会談の意向 戦争終結望

ワールド

関税避けたければ米で生産を、トランプ氏演説 利下げ

ワールド

米上院委、エネルギー委トップの人事承認 第2次トラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの頭の中
特集:トランプの頭の中
2025年1月28日号(1/21発売)

いよいよ始まる第2次トランプ政権。再任大統領の行動原理と世界観を知る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵を「いとも簡単に」爆撃する残虐映像をウクライナが公開
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    日鉄「逆転勝利」のチャンスはここにあり――アメリカ人の過半数はUSスチール問題を「全く知らない」
  • 4
    いま金の価格が上がり続ける不思議
  • 5
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 6
    「後継者誕生?」バロン・トランプ氏、父の就任式で…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    欧州だけでも「十分足りる」...トランプがウクライナ…
  • 9
    【トランプ2.0】「少数の金持ちによる少数の金持ちの…
  • 10
    トランプ就任で「USスチール買収」はどう動くか...「…
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 3
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵を「いとも簡単に」爆撃する残虐映像をウクライナが公開
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 6
    日鉄「逆転勝利」のチャンスはここにあり――アメリカ…
  • 7
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 10
    「バイデン...寝てる?」トランプ就任式で「スリーピ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story