コラム

日本経済はいつ完全雇用を達成するのか

2016年12月05日(月)12時50分

 図1は、11月4日付拙稿で紹介した「1980年から2001年までの日本のフィリップスカーブ」(原田泰・岡本慎一「水平なフィリップスカーブの恐怖-90年代以降の日本経済停滞の原因」(『週刊東洋経済』2001年5月19日号)の上に、表1の完全失業率とインフレ率のデータを用いて、「2013年から2016年9月までのフィリップスカーブ」を重ね合わせたものである。黒田日銀の異次元金融緩和政策以降、失業率の低下とともにインフレ率がマイナスの領域を抜けて2%に向けて徐々に這い上がってきたが、2015年末のインフレ率1.3%失業率3.3%あたりをピークに「腰折れ」したことがよくわかる。

図1 日本のフィリップスカーブ(1980年〜2001年、2013年〜2016年9月)
noguti1205b.jpg


 結局のところ、この2015年までの物価上昇は、一時的な上ぶれにすぎなかった。そもそも、3%台の失業率というのは、2001年以前の日本であれば、インフレ率がゼロ%強程度の「水平」領域であった。2016年以降のインフレ率の低下は、その「本来のフィリップスカーブ」への回帰と解釈できる。

 2015年までの物価上昇が完全雇用への接近によるものではなかった何よりの証拠は、表1に示された名目および実質賃金の推移にある。まず名目賃金は、2013年までは依然として低下傾向にあったものの、2014年以降はわずかながらも増加し始めるようになった。それに対して、実質賃金の方は、ようやく底打ちとなったのは2015年半ば頃のことである(ただし2014年4月から2015年3月までの実質賃金上昇率の大幅なマイナス化は、もっぱら消費税率の3%引き上げによるものである)。

 この名目および実質賃金の推移が示しているのは、「失業率が3%台であった2014年から16年の日本経済は、完全雇用からはまだ程遠かった」という事実である。というのは、日本経済が最終的に完全雇用に到着し、日銀が目標とする2%インフレ率が実現されている状況では、「名目賃金上昇率>物価上昇率」という不等式が成立しているはずだからである。目標インフレ率は2%なのであるから、これは「少なくとも2%以上の名目賃金上昇率が実現されていなければならない」ことを意味する。

 完全雇用下では「名目賃金上昇率>物価上昇率」でなくてはならない理由は、完全雇用が維持されつつ成長する経済では、技術進歩などによって労働者一人当たりの生産性が上昇すれば、その分は実質賃金が伸びていくのが当然だからである。そして、インフレ率が2%の経済で実質賃金が上昇するためには、名目賃金の伸びは2%以上でなくてはならない。その名目賃金上昇率からインフレ率を差し引いた実質賃金上昇率は、「労働者一人当たりの平均的な生産性上昇率」にほぼ対応する。

 そのことを念頭に表1を見ると、「名目賃金上昇率がようやくプラスに転じたとはいえ、その大きさはまったく十分ではなく、結果として実質賃金も大きく上昇してはいない」というのが、2016年までの日本経済の実態であったことが明らかとなる。確かに実質賃金だけを見ると、2016年はインフレ率が低下したために皮肉にもそれが「改善」している。しかしそれは、「より以上の賃金上昇を伴う物価上昇」という本来の目標とはまったく別物なのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米軍艦隊が中東地域に到着、対イラン緊張高まる中 当

ワールド

英右派政党リフォームUK、ブレイバーマン元内相が保

ワールド

カナダ巡るトランプ氏発言、北米貿易交渉の文脈で理解

ワールド

米の広範囲で冬の嵐の余波、停電継続や航空混乱も
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市 vs 中国
特集:高市 vs 中国
2026年2月 3日号(1/27発売)

台湾発言に手を緩めない習近平と静観のトランプ。激動の東アジアを生き抜く日本の戦略とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 2
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 3
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 4
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰…
  • 5
    「外国人価格」で日本社会が失うもの──インバウンド…
  • 6
    「20代は5.6万円のオートロック、今は木造3.95万円」…
  • 7
    中国、軍高官2人を重大な規律違反などで調査...人民…
  • 8
    私たちの体は「食べたもの」でできている...誰もが必…
  • 9
    老化の9割は自分で防げる...糖質と結び付く老化物質…
  • 10
    外国人が増えて治安は悪化したのか
  • 1
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 2
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 3
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 4
    データが示す、中国の「絶望的な」人口動態...現実味…
  • 5
    ラブロフ、グリーンランドは‌デンマーク​の「自然な…
  • 6
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 7
    ニュージーランドの深海に棲む、300年以上生きている…
  • 8
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」…
  • 9
    40代からは「積立の考え方」を変えるべき理由──資産…
  • 10
    麻薬中毒が「アメリカ文化」...グリーンランド人が投…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 7
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 8
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 9
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 10
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story