「なぜ外国人観光客は日本の文化を勉強しないのか」と聞かれたクールジャパン専門家は...
何を求めているのか耳を傾ける
この種の過度に規範的な考えについて私が一番気になるのは、「外国人はこうあるべきだ」という一人の人間の思い込みが現実を上回ってしまう可能性があることです。
言い換えれば、英語ができなくても、外国人を受け入れる上で大きな問題にはならないと思うのです。しかし、外国人が実際には望んでいないものを望んでいると思い込むと、大きな問題が生じます。
例えば、あるお寺に行った時、突然外国人のお客さんが訪ねて来たことがありました。僧侶たちは彼らにお茶を出そうとしましたが、私は「お茶を飲むかどうか、まずお客さんに聞くので、待ってください」と言いました。僧侶たちは「お茶を欲しがらない人なんているのだろうか」と、不思議そうな顔をしていましたが、私に確認することを許してくれました。
しかし、それによって、その客はお茶を欲しがっておらず、実際にはお茶を飲むことができないことがわかりました。彼らはモルモン教徒で、戒律でお茶を禁じていたのです。私が僧侶にそのことを説明すると、代わりにお湯を出すことになりました。
また、ある時、日本の有名な歴史的建造物に宿泊する外国人留学生の受け入れを手伝ったことがあります。留学生が水を欲しがっていたので、その旨をホストに伝えると、ホストはすぐにお茶を用意し始めました。
私はそれを止め、「彼らはお茶ではなく、水を欲しがっています」と説明しました。すると、ホストは「大切なお客様に水を出すのは失礼です」と私を叱りました。私は、せめて生徒たちがお茶でよいか確認をするので待ってほしいとホストに伝え、実際に確認をしてみると、彼らは運動して疲れているので、寝る前に冷たいノンカフェインの飲み物が欲しいということでした。
このパターンに見覚えはありませんか? 相手が何を望んでいるかを確認する唯一の方法は、相手に尋ねることです。あなたが彼らにとってベストだと勝手に考えていることを、彼らが実際に望んでいることに置き換えてしまう危険性があります。
さらに悪いことは、一般的な印象に基づいて、その人が何を望んでいるかを決めつけてしまうことです。
前述したふたつの例は、お茶よりも水を好むアメリカ人の話です。しかし、すべてのアメリカ人がお茶を好まないと決めつけるのは間違いです。もしあなたがその人の国籍だけを理由にお茶を出さないことにしたら、その人は差別されたと感じ、不快な思いをするかもしれません。
相手の好みを知るには、相手に聞くのが一番安全です。思い込みは非常に危険なのです。