1970年2月、北海道でひとつの街が消滅した
尺別炭砿は「企業ぐるみ閉山」に追い込まれた
そこで本書では、閉山した炭鉱から全国へ離散した人々の、その後の物語に焦点が当てられている。
それは、単に人々の移動・移住といった思い出話に留まるものではなく、戦後日本がたどった産業転換と労働力の移動という歴史の内側を描くことになるからだ。
その中心に据えられているのが、北海道東部の音別町(現・釧路市)にあった尺別(しゃくべつ)炭砿だ。
はじめてこの地を訪れた人は、「北海道の大自然」という印象を抱くだろう。しかし、かつてそこは、二十四時間体制で石炭が掘り出され、鉄道が走り、四千人が暮らす炭鉱街であり、人びとの故郷だったのだ。(18ページより)
鉱員の多くは30〜40代で、彼らの大半が妻と子を持っていた。当然、街には小学校も中学校もあり、1000人近くの児童・生徒が在籍していたという。
しかしながら、1970年2月27日、全従業員が解雇され、尺別炭砿は閉山した。
当時、政府は石炭企業の借金を肩代わりし、さらに退職金などに充てるための交付金まで出して、会社自体の撤退を推進していた。当然、多くの企業が解散という道を選択し、全国で大手炭鉱の閉山が相次いだ。
尺別炭砿も、そうした「企業ぐるみ閉山」に追い込まれたのだ。
尺別炭砿のあった地域は都市部から遠く離れた山あいで、炭鉱を失った人々にとって、そこに留まって生きていく選択肢はなかったという。彼らはわずかな期間のうちに街を離れなければならなくなり、全国へと散っていった。
そして、ひとつの街が消滅した。
閉山から50年たった今も〈つながり〉は生きている
本書では、炭鉱コミュニティという独特の世界での暮らしぶりや、炭鉱閉山と、それに伴う地域の崩壊という衝撃の展開が、多くの証言とともに丹念に描かれている。
だが、ここで語られる物語の核心と呼べるのは、人々の「その後」であり、そこにある「つながり」だ。
炭鉱という危険を伴う職場では従業員同士の信頼関係が不可欠で、互いの命を預けるほどの仲は「一山一家」とも言われ、強い連帯で結ばれていた。
一方、地上で家庭を守り、3交代制勤務の夫を支えた女性たちの間にも、固有の使命感とつながりが育まれたという。