コラム

対テロ戦争「元首殺害」の正義

2011年05月11日(水)15時43分

 戦争で相手国の元首、司令官を殺害して軍隊の指揮系統の壊滅を図ることを「ディキャピテーション(首切り、意訳すれば元首殺害)」と言う。歴史上、暗殺を含めて様々な手段でこのディキャピテーションは実行されてきた。アメリカとアルカイダの戦いは「相手が国家ではなくテロ組織の非対称戦争」と言われているが、この場合でもビンラディン殺害がアルカイダの指揮系統を破壊するためのディキャピテーションだったことは確かだ。

 現代の戦争でこうした作戦が公然と実行されることは、それ程多くない。まず何よりも実行が難しいからだ。今回米軍は、他国とは言え同盟国のパキスタンでかなり好き勝手に攻撃用のヘリや特殊部隊を展開して、殺害作戦を成功裏にやり遂げた。ただこれまで10年に及ぶビンラディン追跡の経過で明らかな通り、標的の所在を確認して確実に殺害を実行することは、最高レベルの軍事技術を持つ米軍でも容易ではない。

 さらにこうした「元首殺害」を国際社会で正当化できるか、という問題がある。ほとんど「暗殺」に近い今回の殺害手法に対しては、アメリカの国内外から批判が出ている。殺害を前提として他国のパキスタンで作戦を実行したことについては違法性まで指摘されている。

 もちろん米政府は正当性を主張している。殺害を発表したオバマが「正義はなされた」と開き直ったのは、多分に後ろめたさがあるからだろう。議会上院の司法委員会でビンラディン殺害の正当性を問われたホルダー米司法長官は、第2次大戦中に、真珠湾攻撃を指揮した日本の山本五十六連合艦隊司令官が乗った軍用機を撃墜した米軍の作戦を例にあげ、「敵の司令官を標的にすることは合法だ」と答えている。

 9・11テロ以降のアメリカは、アフガニスタン、イラクで対テロ戦争を拡大し、これまでテロリストにとどまらず当事国の一般市民、そして自国の兵士に多くの犠牲者を出してきた。ハーバードのロースクールで法律を学んだエリート弁護士でもあるオバマが、自ら手を汚すことを決断した今回の作戦を、真正面から批判できるアメリカのメディアは少ないだろう。

 それでは、「リビアのカダフィにも北朝鮮の金正日にも、ディキャピテーションをやればいいじゃないか」という議論もあるかもしれない。しかし仮にも国際社会で国家と認められた元首を殺害すれば、その後の当該国の治安回復、社会復興といった大きな責任が生じてくる。アフガニスタン、イラクの2カ国で民主化、復興という難しい課題と格闘するアメリカが、さらに戦線を拡大することなどできるはずがない。

 「正義」にも、優先順位がある。ハーバード大学のサンデル教授だったら何が正義だと考えるのだろうか? ぜひ聞いてみたいものだ。

――編集部・知久敏之

このブログの他の記事を読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米11月ISM非製造業総合指数52.1に低下、価格

ワールド

米ユナイテッドヘルスケアのCEO、マンハッタンで銃

ビジネス

米11月ADP民間雇用、14.6万人増 予想わずか

ワールド

仏大統領、内閣不信任可決なら速やかに新首相を任命へ
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    韓国ユン大統領、突然の戒厳令発表 国会が解除要求可決、6時間余で事態収束へ
  • 4
    混乱続く兵庫県知事選、結局SNSが「真実」を映したの…
  • 5
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 6
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 7
    肌を若く保つコツはありますか?...和田秀樹医師に聞…
  • 8
    【クイズ】核戦争が起きたときに世界で1番「飢えない…
  • 9
    JO1が表紙を飾る『ニューズウィーク日本版12月10日号…
  • 10
    ついに刑事告発された、斎藤知事のPR会社は「クロ」…
  • 1
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 2
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 3
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 4
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 5
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 6
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 7
    「時間制限食(TRE)」で脂肪はラクに落ちる...血糖…
  • 8
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 9
    エスカレートする核トーク、米主要都市に落ちた場合…
  • 10
    バルト海の海底ケーブルは海底に下ろした錨を引きず…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 10
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story