コラム

「惨めな日常を覆す」無差別殺傷犯とドストエフスキー戦争擁護論のアナロジー

2022年01月18日(火)15時45分
本郷の東大前で発生した事件を受けて現場に駆け付けた警官

本郷の東大前で発生した事件を受けて現場に駆け付けた警官(2022年1月15日) Issei Kato-REUTERS


・無差別殺傷の連鎖は社会全体にコストとリスクをもたらす。

・とりわけ深刻なのは、無差別殺傷の模倣犯の続出が、「惨めな日常をひっくり返したい」と思う者の増加を示していることである。

・それはいわば「日常と非日常の逆転」だが、この願望は戦争を賛美する精神性に通じる。

京王線ジョーカー事件のような「日常がうまくいかない人」の無差別殺傷はいまや珍しくないが、これは社会全体にとって大きなリスクとなる。それが戦争を求める精神性に通じるからだ。

無差別殺傷のコストとリスク

これまで日本では「勉強がうまくいかない」「仕事に行き詰まった」という人の自殺は多かったが、最近は攻撃性を外に向ける事件が増えてきた。

筆者の専門に引き寄せていうと、漠然とした理由づけしかない無差別殺傷事件の多くは、政治的・宗教的イデオロギーに基づく暴力としてのテロとは、厳密には区別される。しかし、社会全体のコストを増やす点で、無差別殺傷はテロとほぼ同じ効果をもつ。

外出が不安な人が増える、他人が信用できなくなるといった相互不信の連鎖だけでなく、例えば鉄道会社や教育機関が警戒を強化するなら、それだけで予算は増える。必要だからとガソリンを購入する人も、今後手続きがより面倒になるかもしれない。それはちょうど9.11後のアメリカをはじめ多くの国が直面してきた問題とほぼ同じだ。

もっとも、これらは表層的なコストであって、より深刻なリスクは別にある。

人の集まる場でいきなり凶行に及び、当たり前の日常をひっくり返すことは、いわば非日常を作り出すことだ。京王線ジョーカー事件などに感化され、模倣犯が次々と増殖する状況は、こうした志向の者が増えていることを示す。

それは社会全体にとって危険なサインでもある。「日常と非日常の逆転」の欲求が広がることは、戦争を賛美する思潮とリンクしやすいからだ。

戦争擁護論のアナロジー

非日常的な状況は、日常でうまくいかない者に、主役になれるチャンスを与える。この点を重視して、戦争に大きな価値を見出した人間の一人にドストエフスキーがいる。

mutsuji220118_dostoevsky.jpg

フョードル・ドストエフスキー Public Domain

『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などで知られるドストエフスキーは19世紀ロシアを代表する文豪の一人だが、『作家の日記』では平和の害悪について語り、戦争の効用を高らかに叫んでいる。


そうだ!流された血が偉大なのだ。我々の時代には戦争が必要である。

──ドストエフスキー『作家の日記』

その議論をごく簡単に解説すると、平和が続けば金と権力が支配する世の中になる。そこでは偽善と無恥がはびこり、人が名誉を重んじる心を殺して媚びへつらうようになる結果、外面のいい者が出世し、そうでない不器用者の尊厳は常に踏み躙られる。要するに人間が野卑になる。

ところが、戦争では日常のなかで守られるルールや決まりの一切が取り払われる。そこでは、普段は見くびられている者にも尊厳を取り戻すチャンスが与えられる。これによって堕落していた「魂は癒され」、支配する者とされる者に別れていた民族が一体性を回復できるというのだ。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

サムスン電子、第3四半期は32%営業増益へ 予想上

ビジネス

MSとソフトバンク、英ウェイブへ20億ドル出資で交

ビジネス

米成長率予想1.8%に上振れ、物価高止まりで雇用の

ワールド

マダガスカル、クーデターで大統領が出国
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:中国EVと未来戦争
特集:中国EVと未来戦争
2025年10月14日号(10/ 7発売)

バッテリーやセンサーなど電気自動車の技術で今や世界をリードする中国が、戦争でもアメリカに勝つ日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 2
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由とは?
  • 3
    車道を一人「さまよう男児」、発見した運転手の「勇敢な行動」の一部始終...「ヒーロー」とネット称賛
  • 4
    メーガン妃の動画が「無神経」すぎる...ダイアナ妃を…
  • 5
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 6
    筋肉が目覚める「6つの動作」とは?...スピードを制…
  • 7
    連立離脱の公明党が高市自民党に感じた「かつてない…
  • 8
    1歳の息子の様子が「何かおかしい...」 母親が動画を…
  • 9
    ウィリアムとキャサリン、結婚前の「最高すぎる関係…
  • 10
    あなたの言葉遣い、「AI語」になっていませんか?...…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 3
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル賞の部門はどれ?
  • 4
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 5
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 6
    ロシア「影の船団」が動く──拿捕されたタンカーが示…
  • 7
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 8
    ウクライナの英雄、ロシアの難敵──アゾフ旅団はなぜ…
  • 9
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 10
    トイレ練習中の2歳の娘が「被疑者」に...検察官の女…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分…
  • 10
    iPhone 17は「すぐ傷つく」...世界中で相次ぐ苦情、A…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story