コラム

三井住友銀行ソースコード漏洩の警鐘──サイバーセキュリティ後進国の課題とは

2021年02月01日(月)06時30分

当のSEの弁明によると、「意図的に公開したわけではない」。ただし、そうだったとしても、ソースコードを持ち出せていた時点で、本人だけでなく管理側の責任も問われることになる。

サイバーテロの脅威に対して日本はデジタル後進国ともいわれ、かねてから脆弱性が指摘されてきた。今回の一件は、日本を代表するメガバンクの一つや警視庁の情報(その重要度や悪意の有無にかかわらず)までがいかに簡単に漏れるかを図らずも示した。

サイバーセキュリティ先進国を目指すなら、高度なシステムを築くだけでなく、企業ガバナンスや労働環境といったいわばアナログな部分の改善も重要になるだろう。

現代版「ラッダイト」を防ぐために

さらにこの騒動の重大な点は、現代の産業社会に対するさらなる抵抗や破壊を誘発しかねないことだ。

善い行いでもそうでなくても、人目が集まった出来事はコピーされやすい。ソースコードを持ち出せる環境があちこちにあるなら、(たとえ今回のSEがそうでなかったとしても)雇用主や顧客への不満を募らせた者が、今回の一件に触発され、通り魔的な感覚で漏洩しようとした場合、防ぐことは難しいだろう。

産業社会の基盤を確信犯的に破壊しようとする行為は、18世紀から19世紀にかけての資本主義の初期から見受けられたものだ。18世紀末、産業革命が進んでいたイギリスでは、夜ごと工場の機械を破壊する打ち壊し運動が広がった。ラッダイト運動と呼ばれたこの動きは、機械化・産業化が進むなか低所得と困窮にあえぐ労働者を中心としていた。

ラッダイト運動はむき出しの資本主義経済のもとで搾取される人々の不満が爆発したもので、当初イギリス政府は死刑を含む厳しい対応をとった。しかし、厳罰で機械打ち壊しを取り締まる限界に直面したことで、イギリス政府はその後、労働者の処遇改善に向かうことになった。

つまり、ラッダイト運動は労働運動や社会保障が発達する一つのステップになったといえる。ただし、企業資産の破壊は少なくとも現代的な言い方でいえばテロリズムに他ならない。これに限らず、世界史にはテロで動いてきた側面が拭い難い。

現代の日本に目を向ければ、様々な業界で人件費などが抑制されていることは今更いうまでもなく、労働者に占める非正規雇用の割合が先進国中、上から数えた方が早いことは、これを象徴する。情報通信産業もまた例外ではない(筆者が片足を突っ込んでいる大学業界も大きなことはいえないが)。

今回の騒動がアクシデントであったとしても、雇用環境などに不満を抱く者のなかから触発された確信犯を生まないことは、ドメスティックなサイバーテロを防ぐためだけでなく、社会全体の安定にとって欠かせない。現代版ラッダイト運動の広がりを防げるかは、サイバーセキュリティと社会保障の両面にまたがる課題といえるだろう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

※筆者の記事はこちら

ニューズウィーク日本版 ISSUES 2026
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月30日/2026年1月6号(12月23日発売)は「ISSUES 2026」特集。トランプの黄昏/中国AIに限界/米なきアジア安全保障/核使用の現実味/米ドルの賞味期限/WHO’S NEXT…2026年の世界を読む恒例の人気特集です

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

前大統領に懲役10年求刑、非常戒厳後の捜査妨害など

ワールド

中国、米防衛企業20社などに制裁 台湾への武器売却

ワールド

ナジブ・マレーシア元首相、1MDB汚職事件で全25

ビジネス

タイ中銀、バーツの変動抑制へ「大規模介入」 資本流
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 4
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 5
    「時代劇を頼む」と言われた...岡田准一が語る、侍た…
  • 6
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 7
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 8
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 10
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story