コラム

草間彌生の水玉と「私」の呪縛からの解放──永遠の闘い、愛、生きること(2)

2022年07月11日(月)15時50分

21世紀に入ってからの新たな取り組みとしては、2004年の「クサマトリックス」展において、これまでの内的心象の描写から一転して、初めて幸福への願望を感じさせる少女像に着手。また、2004年―2009年には50枚の「愛はとこしえ」を、2009年以降は、集大成ともいうべき絵画シリーズ「わが永遠の魂」も手掛けている。

以前の作品群とは異なる、これらのシリーズに特徴的な明るい色彩や幸福感は「芸術の力、愛の力をもって、世界中に平和と愛の素晴らしさを届けたい(注4)」という思いを直接的に反映し、その継続した創作自体が、彼女の「生」そのものを体現するようだ。

大いなる自然のなかで増殖消滅する「私」

2022年、ベネッセハウスは開館から30年を迎えた。この節目に際して、直島には、再び安藤忠雄が設計した小さな建築を含むヴァレーギャラリーが設けられ、そこに、草間のもうひとつの主要作品が設置された。

境界や聖域とされる谷間に沿うように建てられた半屋外建築と周囲の自然で構成される本ギャラリーでは、作品とともにエリア全体のランドスケープを体感してもらい、改めて自然の豊かさや共生、根源的な祈りの心や循環・再生などについて意識を促すことを意図している。安藤が「小さくとも結晶のような強度をもつ空間をつくろうと考えた」と言う、祠をイメージし、屋根のスリットや切り込みにより、内省的でありながら、半屋外に開かれ、光や風など自然エネルギーの動きを直接的に感じ取れる。

その屋内外に展開する《ナルシスの庭》は、草間彌生が1966年のヴェネツィア・ビエンナーレでジャルディーニ会場の芝生に大量のミラーボールを敷き詰め、世界的注目を集めることになった作品である。日本代表としての参加ではなく、自ら事務局に直接かけあって場所をもらい、ルーチョ・フォンタナにお金を出してもらい(注5)、フィレンツェの工場で調達したというプラスチック製のミラーボール1,500個をイタリアパビリオン外の芝生に並べ、自身は赤いレオタードでそのなかに横たわった。その際、ボール1個を1.5ドルで販売したが、すぐにイタリア当局からの警告で催しを中止、残りの大半は盗まれたという(注6)。

そうしたゲリラ的なやり方だけでなく、商業主義への反発としてメディアに大きく注目されることになったが、今は、一回りサイズが大きくステンレス製となった約1,700個の球が、自然と拮抗することなく、山間の自然の変化や鑑賞者の姿を映し出しながら静かに揺れている。その様子は、単純なスペクタクル性を超えて、私たち一人一人がひとつの生命体として自然と一体化し、無限に拡がっていくような感覚を誘発する。

注4. Vogue Japan 2017年2月21日Interview & Text: Yayoi Kojima
注5. 「草間彌生インタビュー クサマがクサマであるために」『美術手帖』1993年6月号P16
注6. 前掲書 谷川渥「増殖の幻魔」『美術手帖』1993年6月P666

プロフィール

三木あき子

キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国軍が東シナ海で実弾射撃訓練、空母も参加 台湾に

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story