コラム

落書きや放置自転車の発する「秩序感の薄さ」が犯罪を誘発する

2022年04月14日(木)08時15分

割れ窓理論が重視する秩序違反行為は、イギリスでは、「犯罪及び秩序違反法」として、法律の名前に採用されるまでに至った。日本でも『水文・水資源学会誌』で、水質汚濁が著しい河川の流域ほど犯罪発生率が高いという分析結果が報告されている。

前述したように、割れ窓理論は、コミュニティの縄張り意識と当事者意識を高めようとするので、警察活動についても、警察が地域住民とパートナーシップを組み、問題解決手法を用いて対応することを重視する。これは「コミュニティ・ポリシング」(地域志向型警察活動)や「問題志向型警察活動」と呼ばれている。

もっとも、割れ窓理論は、軽微な秩序違反行為を容赦なく取り締まるゼロ・トレランス(不寛容)型の警察活動を推進するので、エスニック・マイノリティーを過剰に取り締まる人種差別的な治安維持に結びつくという批判もある。しかしケリングも、割れ窓理論を実践した元ニューヨーク市警本部長ウィリアム・ブラットンも、割れ窓理論における警察の役割はコミュニティ支援なので、「割れ窓理論とゼロ・トレランスは別物」と明言している。

「小さな悪」が「大きな悪」を生み出すメカニズム

割れ窓理論で言う「割れた窓ガラス」とは、管理が行き届いてなく、秩序感が薄い場所の象徴である。繰り返しになるが、割れた窓ガラスが放置されているのは、その場所に関係する人々の「縄張り意識と当事者意識」が低いからだ。言い換えれば、周囲の人たちが、その場所のことに無関心・無気力・無責任であるからこそ、割れた窓ガラスが放置され続けているのである。

犯罪者に、そのように思わせてしまうシグナルとしては、割れた窓ガラスのほかにも、例えば、落書き、散乱ゴミ、放置自転車、廃屋、伸び放題の雑草、不法投棄された家電ゴミ、野ざらしの廃車、壊れたフェンス、切れた街灯、違法な路上駐車、公園の汚いトイレなどがある。

このように、割れ窓理論が心理面を重視するのは、「悪のスパイラル」とか「悪のエスカレーション」といったメカニズムを前提にしているからだ。それは、場所の乱れやほころびといった「小さな悪」が、いつの間にか、犯罪という「大きな悪」を生み出してしまう心理メカニズムだ。

例えば、ある商店の壁に落書きをされたとしよう。それがしばらく消されないでいると、「ここの落書きは消されずに見てもらえる」というメッセージになる。そのメッセージを受け取った人は、「誰かほかにも落書きした人がいるのだから、自分が落書きしても構わないだろう」と思うかもしれない。そうなると、次から次へと落書きをされてしまう。落書きだらけの壁の前には、「落書きができるのなら、これも許されるだろう」と思った人によって、ゴミが捨てられ、自転車が放置されるようになるだろう。すると、「ここなら、ひったくりも成功しそう」と思う人が現れ、その人が裏路地でひったくりに及ぶかもしれない。そのことが、「ひったくりが成功したのなら、空き巣だって成功するはず」と思う人を呼び寄せ、近所の家が盗みに入られてしまう。さらに、盗みに入った家で、帰宅した家人と鉢合わせすれば、強盗殺人事件に発展する可能性もある。

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページはこちら。YouTube チャンネルはこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米マイアミ市長選、民主党候補が勝利 約30年ぶり

ビジネス

航空業界ネットゼロに黄信号、SAF供給不足 目標未

ビジネス

金利上昇続くより、日本の成長や債務残高GDP比率低

ワールド

米、中国軍のレーダー照射を批判 「日本への関与揺る
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【クイズ】アジアで唯一...「世界の観光都市ランキング」でトップ5に入ったのはどこ?
  • 3
    中国の著名エコノミストが警告、過度の景気刺激が「財政危機」招くおそれ
  • 4
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 5
    「韓国のアマゾン」クーパン、国民の6割相当の大規模情…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 8
    「1匹いたら数千匹近くに...」飲もうとしたコップの…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    イギリスは「監視」、日本は「記録」...防犯カメラの…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 8
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 9
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 10
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 9
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story