コラム

犯行要因を空間に求める「犯罪機会論」が防犯対策の主流になるまで

2022年03月12日(土)11時25分

もっとも初期の被害者学は、被害原因として、被害者の特徴を重視し、犯罪原因論と似た発想だった。そのため、そうしたアプローチは、被害者バッシングにつながるとして非難を浴び、その結果、被害原因は一般的な日常生活に求められるようになった。

被害の原因が日常生活にあるなら、日常生活の送り方次第では、だれもが被害者になり得る。言い換えれば、日常的な空間の使い方こそが被害の確率を左右することになる。これは、犯行空間を対象とする犯罪機会論の前提になった。

さらに、犯罪原因論が当然の前提とした、国家と犯罪者を主役としたシステムにも批判が向けられた。システムの外に被害者が置かれていては、被害者の心の傷を癒やすこともできなければ、犯人に被害者の苦痛の大きさを気づかせ、犯人を改心させることもできない、というのがその理由だ。

被害者の権利保護と「修復的司法」

そこで、被害者と加害者が直接に話し合う場を設け、裁判官ではなく、コミュニティが話し合いをまとめるシステムが提案された。それは、被害者、加害者、そしてコミュニティという3者間の人間関係の修復を目的とするため、「修復的司法」と呼ばれた。これもまた、人と人とのつながりを重視する点で、犯罪機会論と共通の基盤に立つ。

筆者は、イギリスのテムズバレー警察を訪問し、実際に、修復的司法を観察する機会に恵まれた。写真の話し合いは、15歳の少年が青年クラブに侵入してオートバイを盗み、別の15歳の少年2人が盗品と知りながらそのオートバイを乗り回した事件についてのものだ。

komiya220311_2.jpg

筆者撮影

修復的司法の話し合いには、ファシリテーター役の警察官のほか、3人の非行少年、その母親と祖母、被害者として青年クラブのリーダー、コミュニティにおける知人として少年を逮捕した警察官が参加した。

話し合いは1時間続き、被害者はオートバイが青年クラブに寄付された貴重なものであることを説明し、謝罪するだけでなく、責任ある市民に育ってほしいと少年に告げた。ある母親は、泣きながらショックを受けたと話した。

別の母親が被害者に謝罪したところ、被害者は、これは親ではなく子どもの責任であると応えた。少年は「すみません」を繰り返すだけだった。最終的には、オートバイを盗んだ少年には、再犯なので「警告」が与えられ、オートバイを乗り回した少年には、初犯なので「叱責」が与えられた。

このような警察官主導ではなく、ソーシャル・ワーカー主導の修復的司法では、非行少年と被害者が、贖罪と再犯防止のための契約を交わすこともある。

このように、海外では、被害者学とそれに支えられた被害者運動が、被害者の権利保護と修復的司法の導入に成功した。そしてこのことは、犯罪機会論が普及するのにも一役買った。

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページはこちら。YouTube チャンネルはこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=円が軟化、介入警戒続く

ビジネス

米国株式市場=横ばい、AI・貴金属関連が高い

ワールド

米航空会社、北東部の暴風雪警報で1000便超欠航

ワールド

ゼレンスキー氏は「私が承認するまで何もできない」=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 6
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 7
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 8
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 9
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌…
  • 10
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 9
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story