コラム

「残業100時間」攻防の茶番 労働生産性にまつわる誤解とは?

2017年03月21日(火)17時33分

企業が生み出す付加価値が労働時間と無関係のものであれば、時間の削減はそのまま生産性の向上につながってくる。だが、企業の付加価値が労働時間に依存している(つまりビジネスが労働集約的である)場合にはそうはいかない。労働時間を減らしてしまうと、企業の生産もその分だけ減少してしまうからだ。

つまり生産性の式の分母(労働時間)を減らすと分子(付加価値)も減ってしまい、最終的に生産性の数字は変わらず、付加価値の絶対値だけが減少するということが十分にあり得るのだ。もっと具体的に言えば、労働時間は減ったものの、給料も大幅に低下してしまうことになる。

長時間労働の原因が「生産性」なのはその通りなのだが、最大の問題は、分母(労働時間)がムダに長いのではなく、分子である付加価値が小さいことにある。実際、労働経済白書においても、生産性を上昇させる要因のうち多くは、時間要因ではなく付加価値要因であると結論付けている。

要するに日本企業は、そもそも儲からないビジネスに取り組んでおり、その結果として、社員は長時間残業を強いられているに過ぎない。逆に言えば企業が高い付加価値を生み出していれば、短時間労働でも同じ給料を保証できる。

長時間残業が続く本当の理由は「経営」の問題

これまで長年にわたって長時間労働の問題が指摘されていながら、改善のきざしが全く見えなかったのは、日本企業のビジネスモデルが依然として労働集約的であり、残業を減らすと売上高や利益が減ってしまうという「不都合な真実」を、多くの人が無意識的に理解していたからに他ならない。

長時間残業が付加価値の低さから来るものだとすると、状況を改善するためには経営を変える必要がある。製造業の分野ではビジネス・ドメイン(事業を展開する領域)の再定義が必須となるだろう。

2015年版通商白書では、日本の製造業はドイツや米国と比べて高いシェアの品目を持っているものの、市場が拡大している品目のシェアはドイツや米国と比べると低いという分析結果が出ている。同様に日本企業は、数量が増加した品目での単価上昇が鈍いという特徴についても指摘されている。伸びない市場で安売りしている状況では大きな利益が得られないのは当然である。

非製造業を加えた全産業分野ではIT化の遅れが指摘されている。日本は主要国の中でIT資産装備率の上昇ペースがもっとも遅く、さらに人的資本投資の増加率については何とマイナス10%となっている。パソコンの普及率も先進諸外国と比較するとかなり低く、国全体としてビジネスのIT化に消極的だ。

日本ではせっかくシステムを導入しても、わざわざ高いコストをかけて、従来から続くムダの多い業務プロセスをそのままシステムに再現してしまうケースが後を絶たない。時間はかかるが、こうしたところから変えていないと、長時間残業をなくすことは難しそうである。

もっとも、日本企業のビジネスモデルが変われば、当然、労働者に対しては新しいスキルが要求されることになり、それに伴って雇用の流動化も進む。究極的には、長時間労働を伴う雇用の安定を取るのか、雇用は不安定でも豊かな生活を取るのかという二者択一となることを忘れてはならない。

【参考記事】日本は「幸福な衰退」を実現できるのか?

プロフィール

加谷珪一

経済評論家。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当する。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は金融、経済、ビジネス、ITなどの分野で執筆活動を行う。億単位の資産を運用する個人投資家でもある。
『お金持ちの教科書』 『大金持ちの教科書』(いずれもCCCメディアハウス)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

豪小売売上高、5月は前月比0.2%増と低調 追加利

ビジネス

午前の日経平均は続落、トランプ関税警戒で大型株に売

ワールド

ドバイ、渋滞解消に「空飛ぶタクシー」 米ジョビーが

ワールド

インドネシア輸出、5月は関税期限控え急増 インフレ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引きずり込まれる
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    世紀の派手婚も、ベゾスにとっては普通の家庭がスニ…
  • 7
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    あり?なし? 夫の目の前で共演者と...スカーレット…
  • 10
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story