- HOME
- コラム
- 中東ニュースの現場から
- シリア「虐殺された町」の市民ジャーナリストたち
シリア「虐殺された町」の市民ジャーナリストたち
親子2代に及ぶアサド体制は、秘密警察によって政府批判を完全に封殺し、アラブ世界で最も抑圧的な体制だった。報道の自由は存在せず、政権による反体制派の弾圧、逮捕、拷問という人権侵害が表に出ることはほとんどない。
しかし、「アラブの春」の若者たちはインターネットと携帯電話を使い、SNSを通じて政権の暴力を国外に向かって発信し始めた。
シリア各地に反体制の市民組織「地域調整委員会(LCC)」が生まれ、各地のニュースをSNSで公開した。国際組織「国境なき記者団」は2012年3月、LCCに「ネット市民賞」を贈り、「国際的な報道が遠ざけられたなかで、国際社会にとってはLCCがシリアでの暴力の進行を知るほとんど唯一の手段だった」と紹介した。
ラッカでも早い段階でLCCが作られ、活動の中心人物だったナジ・ジェルフは後にRBSSの創設者の1人となった。
IS暗黒時代、次々に殺されるRBSSのメンバー
ラッカは2014年春、イラクから来たISに支配され、新たな暗黒時代が始まった。ジェルフら17人の市民ジャーナリストがIS支配を告発するため秘密裏にRBSSを設立した。RBSSの創設は、アサド政権の暴力を告発するために生まれたラッカの市民ジャーナリズムにとって第2幕の闘いの始まりだった。
CPJの授賞式のスピーチで、RBSSメンバーのアジズは「私たちは2つの攻撃的で残忍な力の間で囚われている」と語り、「テロとの戦いを口実にして子供たちを殺害する」アサド政権と「邪悪と不正義をまき散らす」ISの間に挟まれた市民の苦難を訴えた。
ラッカにいるメンバーはISに捕まれば死罪。命がけで情報を発信している。しかし、国外にいるメンバーだからといって安全とはいえない。
チームは当初シリアに近いトルコ南部に拠点を置いていたが、2015年10月、活動に関わっていたジャーナリスト2人がトルコで殺害された。メンバーはその後、ドイツに拠点を移した。
ドイツの隠れ家に集まった国外メンバーは、ラッカでのISによる市民の処刑や子供たちに対する過激なイスラムの洗脳教育を見ながら、「表舞台に出て世界に訴えよう」と決断する。
アジズらは欧米のテレビに出て、ラッカの状況を訴え始めた。欧米で「勇敢な市民ジャーナリスト」として称賛を受けるようになる。それがCPJの受賞にもつながる。しかし、国際舞台に出たことによって、授賞式の翌月に創設者の1人ジャルフと、シリア反体制地域のイドリブにいたRBSSの元編集者がそれぞれ射殺された。
さらにISはアジズの写真を挙げて、「ドイツにいるイスラム戦士で、このスパイ組織の創設者を殺害できるものはいるか?」と声明を出した。ISは欧米のイスラム教徒にテロを呼びかけ、2014年から15年にかけて、ISに感化された者たちによるテロが続いていた。アジズを脅迫する声明は単なる脅しではない。
この筆者のコラム
UAEはイスラエルから民主化弾圧のアプリ導入【イスラエル・UAE和平を読む(後編)】 2020.09.22
イランを見据えるモサドが国交正常化を画策した【イスラエル・UAE和平を読む(前編)】 2020.09.22
UAEメディアが今になってイスラエルとの国交正常化を礼賛し始めた理由 2020.09.08
「主導者なき」エジプト反政府デモの背景には、貧困という時限爆弾がある 2019.10.07
イエメン内戦に新展開、分裂・内戦を繰り返してきた歴史的背景を読む 2019.09.10
パレスチナ問題の特殊性 中東全体の危機へと広がり得る理由 2019.04.25
ネタニヤフ続投で始まる「米=イスラエル=サウジ」のパレスチナ包囲網 2019.04.17