コラム

エジプトのキリスト教会テロはなぜ起こったか【解説・前編】

2016年12月22日(木)15時51分

 通りから警察が姿を消した後、人々は通りごとに自警団をつくった。「刑務所が開かれ、大勢の服役囚が脱走した」という情報も広がっていた。アレクサンドリアにいるキリスト教徒の知人は「警察がいなくなって初めて大変なことになったと思った」と語った。

 ムバラク政権での地域の顔役は姿を消し、ムバラク時代に政府に批判的な人々が自警団を率いたが、その中にイスラム穏健派組織「ムスリム同胞団」の関係者も多くいた。キリスト教徒の知人の夫も地域の自警団に入り、交代で24時間体制で警戒に当たったという。強権体制が倒れた後、イスラム教徒とコプト教徒も治安維持に協力したのである。

 デモが始まり、ムバラク大統領の辞任を求めて、カイロのタハリール広場に数十万人の若者たちが埋めた時にも、イスラム教徒の若者とコプト教徒の若者の連帯があった。イスラム教徒が広場で一斉に礼拝をするわきでコプト教徒の若者たちが警戒にあたる場面もあった。デモに参加したムスリム同胞団の若者に取材すると「コプト教徒の若者と話をし、一緒にデモをしたのは初めてだった」と語った。

コプト教徒とムスリム同胞団の連帯は明るい材料だったが

 2011年11月に始まった革命後初の民主的な選挙に立候補して当選したコプト教徒を取材したことがある。その候補が所属するアラブ民族主義を唱えるナセル主義の政党は、同胞団が創設した「自由公正党」と共に比例代表リストをつくった。50年、60年代にエジプトを率いたナセル大統領の思想を引き継ぐ政党だが、ナセル時代には同胞団は激しい弾圧を受けているだけに、両者が共闘するとは時代が変わったものだと思った。

 コプト教徒とムスリム同胞団の関係で言えば、エジプト革命によってムバラク体制が倒れた後、「サラフィー」と呼ばれるイスラム厳格派が台頭した。11年5月にカイロでコプト教徒が多いインババ地区でサラフィーの若者たちがコプト教会を襲撃し、銃撃や焼き討ちがあり、15人が死ぬ衝突事件が起きた。

 私はこの衝突事件を取材していて、事態収拾にあたったのが同胞団だと知った。ムバラク時代なら治安部隊が対応するところだが、革命直後で警察は動くことが出来ず、インババを管轄するギザ県知事は同胞団の地域幹部に連絡し、対応を要請した。組織的に動くことができるのは、同胞団しかなかったのだ。その地域幹部は同胞団の若者たちを現場に送り、コプト教徒とサラフィー派の間に入って、両者を引きはなした。

 同胞団の地域幹部は、軍や警察、内務省、ギザ県と連絡をとり、再発防止と相互理解のためにインババの14の教会とサラフィー派側の組織、40ほどの主要家族の代表を招き、初会合をギザ県知事公舎で開いたという。

 私は衝突があったコプト教会を訪ねて、司教に話を聞いた。「衝突の後、イスラム教徒との間で賢人会議ができた。同胞団がまとめた」と証言した。12年1月7日のコプト教のクリスマスには地元の同胞団幹部が初めてコプト教会を表敬訪問した。「ムバラク時代は公安警察が目を光らせて、同胞団との交流はできなかった」と司教は語った。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story