コラム

「テロとの戦い」を政治利用するエルドアンの剛腕

2016年03月21日(月)06時34分

トルコ政権による「両面」強硬策

 トルコはISとの戦いに積極的ではなかった。米国が率いる有志連合によるIS空爆には参加せず、IS掃討のために他国が国内の空軍基地を使用するのも認めなかった。そのためトルコは欧米からはISに甘いと見られていた。シリアと長い国境を接しているトルコがIS空爆に参加すれば、ISのテロの標的となることは見えており、トルコとしても慎重な姿勢をとらざるをえなかったということだろう。

【参考記事】「イスラム国」を支える影の存在

 さらに、米国がシリアのYPGを支援してISと戦わせるという戦略は、YPGをテロ組織と考えるトルコには受け入れることはできない。スルチでISによるテロが起きた時、クルド人の間には政権に対する批判が噴出した。政権がISを助けたという怒りの反応さえ出た。テロの2日後にトルコ南東部のシリア国境沿いで警察官2人が射殺され、PKKが「スルチの攻撃への報復」とする犯行声明を出した。

 トルコはテロの後、米国に連絡し、有志連合のIS掃討作戦にトルコ国内の基地を利用することを認め、さらに自ら、シリアのIS支配地域への空爆を開始した。しかし、トルコのシリア領内への空爆はIS拠点だけでなく、PKKの拠点も含まれていた。

【参考記事】民主主義をかなぐり捨てたトルコ

 エルドアン政権はPKKとの停戦と米国・有志連合のIS掃討作戦への不参加という2つの政策を捨て、PKKに対しても、ISに対しても、「テロとの戦い」を強化する「両面」強硬策に打って出たのである。それがかえってPKKとISのテロ激化へとつながり、治安の悪化をもたらしたということだろう。10月の100人規模の死者を出したISによる大規模テロや、今年になってのクルド人過激派による大規模テロが続く事態に陥った。

やり直し総選挙では過半数を回復

 エルドアン大統領にとっては、スルチでのISテロの影響が広がらないように、PKKとの停戦と、IS空爆から距離をとる対応策を継続するという選択肢もあったはずだ。そうしなかったのは、6月の総選挙での過半数割れという政権与党としての「敗北」を受けて、大胆な勝負に出たということだろう。

 治安は目に見えて悪化したが、それは政治にどのように影響しただろうか。6月の総選挙で単独過半数を失ったエルドアン大統領が率いるAKPは、11月のやり直し総選挙で、議席を50議席以上増やして、過半数を回復した。当時の朝日新聞は「社会不安が高まる中、有権者は安定を求めた」と分析した。スルチのテロの後で、「テロとの戦い」を掲げて一気に強硬策をとった政権は、政治的には成功したということである。いかにも強気のエルドアン大統領らしい手法である。

 エルドアン氏は2002年にAKPを率いて総選挙で勝利して以来、今年で15年目になるが、2011年の総選挙に勝利した後、3期に入ってから「権威主義化」「強権化」の批判を受けることになった。さらに2014年に大統領直接選挙で大統領に就任してからは、メディアや市民運動への弾圧など、さらにその傾向を強めている。

下町の伝統で育った「庶民宰相」だったが......

 2012年にエルドアン氏について集中的に取材をしたことがある。彼が少年時代を過ごしたイスタンブールでも最も伝統的で庶民的な下町カセンパシャを訪ねて人々の話を聞いた。周りを威圧するような親分的なエルドアン流の振る舞いが出てくる土壌を実感することができた。エルドアン氏は、かつて中東を抑えたオスマン帝国の伝統を引き継ぐ軍、官僚、財閥というエリートから全く遠いところから、イスラム的な伝統を実現する政策を掲げ、「民意」を手にしてトップに上り詰めた。まさに「庶民宰相」である。

 元側近やエコノミストに話を聞いた時、「エルドアンは最初、様々な意見をよく聞いて決断したが、3期以降、独断専行の傾向が強まった」という声があちこちで出た。昨年6月にAKPが過半数割れしたのは、大統領権限の強化を可能にする憲法改正を公約として掲げたためであり、強権化に国民の警戒が強まったからだと分析されていた。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国向けiPhone生産、来年にも中国からインドへ

ワールド

トランプ大統領、イラン最高指導者との会談に前向き

ビジネス

トランプ氏「習主席から電話」、関税交渉3-4週間ほ

ビジネス

中国で高まるHV人気、EVしのぐ伸び 長距離モデル
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは?【最新研究】
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    日本の10代女子の多くが「子どもは欲しくない」と考…
  • 5
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 6
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 7
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 8
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 9
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 10
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story