コラム

若者の未熟さと「イスラム復興」の契機【アラブの春5周年(中)】

2016年02月16日(火)16時44分

ヴァーチャルの世界がリアルを回復

 アラブの強権体制の下では、ムスリム同胞団のようなイスラム系であれ、世俗派のリベラル系組織であれ、体制批判をする政治組織はどこでも抑え込まれ、政治活動自体が圧殺されていた。私はデモに参加した若者たちの話を聞いて、長年の強権体制の下で、若者の間に脱政治化が進み、公安警察の怖さを知らない者たちが増えたからこそ、フェイスブックの呼びかけに応じて深く考えずにデモに参加した若者が万の単位になったのだろうと考えた。

 警察の暴力に抗議するフェイスブックサイトに何十万人がアクセスしても、それはヴァーチャル(非現実)な世界での話にすぎず、現実の力になるわけではない。しかし、そのうちの10分の1の数万人でも街頭でのデモに繰り出せば、革命の動きに火をつけ、リアル(現実)が動き出すということである。エジプト革命のきっかけとなったのは、フェイスブックであり、ツイッターであり、その意味でフェイスブック革命やツイッター革命と呼ぶのは間違いではないが、実際に革命が起こったのは、若者たちがSNSの世界にとどまらず、現実の世界で行動をとったためであり、「脱SNS」の動きでもあった。「アラブの春」にはヴァーチャルの世界がリアルを回復するという契機があったと私は考えている。

 さらに若者たちは政治に満足しているわけではなく、失業の問題や格差の問題、自由の欠如や警察の横暴などについての不満や怒りは、日常的に持っていた。ただ、それが既存の政党や政治活動につながらなかっただけだった。しかし、いったん若者たちが強権への「ノー」を叫んで街頭にでると、怒りは爆発した。エジプト全土でデモ隊と治安部隊との大規模な衝突があった1月28日夕に、ムバラク大統領は警官の撤退を命じ、代わって軍の出動を命じた。この日、エジプト全土で100か所以上の警察署が焼き討ちされた。若者たちの警官への怒りがいかに強かったかを示している。

警官が姿を消し、民衆が自警団を組織

「若者の反乱」で始まった革命が、「イスラムの復興」につながる契機は、警官が通りから姿を消した時から始まった。警官は民衆に攻撃されるのを恐れて、ほとんど1年間は表にでることはできなかった。強権体制の治安を維持してきた警察が姿を消したことで、治安は丸裸になった。警察は国民を監視する強権の手先であったが、それによって治安も守られていた。通りから警察が姿を消したことで、人々は初めて事の重大さに気付いたのである。

 警察が撤退した夜、私がいたアレキサンドリアでも、首都カイロでも、人々が通りごとに「民衆委員会」という自警団をつくって、24時間態勢で地区の警備を始めた。その夜、地区ごとに男たちが地域のモスクに集まって、対応が話し合われたという。無警察状態になった状態で、人々が秩序や治安をイスラムの教えとイスラム社会の人間関係によって維持しようとしているのが分かった。無警察状態になったが、カイロやアレキサンドリアなどの大都市で郊外のショッピングモールが略奪された例が一部にあったぐらいで、一般の商店などが襲われることはなかった。

 そのようなエジプト革命後の状況は、2003年4月にイラク戦争でバグダッドが陥落した後と通じるものがあった。サダム・フセイン体制は崩壊し、しかし、米軍による占領体制もまだ始まらない中で、当初はバース党事務所や政府施設への略奪が広まったが、それが1週間、10日と経過するうちに、次第に治安が回復してきたことを思い出した。まさに無政府状態だったが、治安と秩序の回復を担ったのは、やはりイスラムの教えとイスラム社会の人間関係だった。

 国が滅びても、人々は毎日礼拝を行い、金曜日の集団礼拝には多くの人々が集まった。イスラム宗教者は説教の中で、略奪や盗みを諫め、「略奪品を返却せよ」と人々に求めた。その後、モスクのわきの倉庫には人々が持ってきた家具が山積みになった。危機にあって、共同体の秩序や治安を維持するイスラムの力を感じた。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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