コラム

部族社会に逆戻りするアラブ世界

2015年12月24日(木)10時56分

 今年5月にISはバグダッド西方のスンニ派州のアンバル州を制圧した。この時、シーア派主導政権のもとに軍事顧問団を送っていた米国は、アンバル州のスンニ派部族にISと戦うよう求めた。イラク政権にはスンニ派部族に武器を提供するよう求めた。しかし、政権はスンニ派部族への武器提供を渋り、代わりにISと戦わせるためにシーア派民兵を送り込んだ。これが、スンニ派部族の怒りを買い、アンバル州のスンニ派部族連合は「ISと我々は同じ運命にある」と宣言して、ISに忠誠を誓った。

 もともとアンバル州は、イラクに駐留した米軍が、2006年から07年にかけて、スンニ派部族に金と武器を与えて「覚醒委員会」を組織させた州である。米軍は部族をイラク・アルカイダやその後にできた「イラク・イスラム国」と対抗させようとした。しかし、2011年末に米軍がイラクから撤退した後、スンニ派はシーア派主導政権の下で、石油収入の分配でも地域開発でも冷遇され、不満を募らせた。イラクの若者失業率は18%だが、政府関係機関への就業の機会が限られているスンニ派地域の若者の失業率は、その倍になるという話だった。

 一方のシリアでは現在、ISのシリアでの中心都市があるラッカ周辺は、部族の勢力が強い地域であり、YouTubeには、地域の部族がISに忠誠を誓う動画がいくつもアップされている。ISは今年5月に、古代遺跡があるパルミラの町を制圧したが、この時、政権側について戦っていたある部族を700人から900人殺害し、その部族をパルミラから排除するという報復に出た。

 油田があるデリゾールでは、油井がある地域を支配している部族には、石油収入の分け前を与える約束をして、忠誠を誓わせているという。このように、部族に対する「アメとムチ」政策が、ISの部族対応ということになる。

強権国家の破綻がISの出現、部族の台頭を生む

 部族がいま浮上してきているのは、イラク戦争後の混乱が続くイラクや、「アラブの春」で長年続いた強権独裁体制が崩れたリビア、シリア、イエメンなどで、国家が破綻したためと考えるしかない。

 アラブ世界で1950年代に始まるアラブ民族主義やアラブ社会主義を掲げた強権独裁体制は、欧州の植民地支配の下で引かれた国境線の枠の中で、国民国家を建設し、国民を統合するという近代的な試みであった。それが崩れたいま、近代国家以前の部族社会のルールが復活してきたと考えることができる。

「アラブの春」とは、腐敗した強権体制による権力と富の独占に対する若者たちの反乱だった。民主的な政治改革が実行できれば、新しい政治が開いただろうが、チュニジア以外は民主化に進まずに、シリアでは政治改革を求めるデモを武力で弾圧し、国家の破綻に向かった。その結果、部族の台頭とISというイスラム過激派の出現につながっている。

 いまの中東で、ISだけを見ても危機の実体は見えてこない。シリアやイラクでは、国家が政治的に破綻したために、部族が台頭し、それがISを支えているという構図である。財政的に破綻した国に対しては、国際社会は金融支援と引き換えに、思い切った財政改革や緊縮策の実施を求める。ならば、政治的に破綻した国が、過激派を生み、難民を生み、国際社会への危機となっていると考えれば、国際社会はシリアやイラクに対して、政治の正常化を踏み込んで求める必要があるのではないかと思う。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

商船三井の今期、純利益を500億円上方修正 市場予

ビジネス

午前の日経平均は続伸、米株高の流れを好感 徐々に模

ワールド

トランプ氏「BRICS通貨つくるな」、対応次第で1

ワールド

米首都の空中衝突、旅客機のブラックボックス回収 6
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    「やっぱりかわいい」10年ぶり復帰のキャメロン・デ…
  • 8
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 9
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 10
    フジテレビ局員の「公益通報」だったのか...スポーツ…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 10
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 5
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story