コラム

難民はなぜ、子供を連れて危険な海を渡るのか

2015年11月11日(水)16時25分

kawakami151111-b.jpg

2015年11月7日、ギリシャのレスボス島にたどり着いたボートからも子供を腕に抱いた男性が。今年すでに59万人以上の難民がギリシャに渡っている Alkis Konstantinidis- REUTERS

 Aさんはボドロムから密航斡旋人の車で出発したが、実際に海を渡ったのは、北80キロほどにある場所で、渡った先もサモス島だった。サモス島もコス島と同様にトルコからの密航者が渡る島である。私はサモス島に渡るトルコの海岸にも昨夏、新聞の特派員としての取材で行ったことがあった。

 当時、Aさんの知人のシリア人がドイツに渡ったというのでドイツに行ってインタビューをした。そのシリア人は、最初、サモス島を目指してゴムボートに乗ったが、すぐにボートが浸水したために、岸に戻ってきたという。密航をあきらめて一旦、シリアに戻ったが、状況がさらに悪化したために、もう一度トルコに行って密航を試みた。

 2回目の密航では海ではなく、トルコの北部の川を越えて、ギリシャに入った。その後は、今回のAさんと同様に、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアを経てドイツに着いて難民申請をした。途中、マケドニアとハンガリーで警察に拘束され、ドイツに到着するまで5か月かかったという。詳細は、私のブログの「ドイツまで歩いたシリア難民の証言」をご覧いただきたい。

 昨夏、サモス島が見えるトルコ側の港で、漁師たちから海を渡ろうとして死ぬ難民たちについて話を聞いた。おぼれ死んだ難民の遺体を引き上げたことがあるという漁師の1人が「シリアやイラク、パレスチナなど、不幸な中東の人々が、自由と繁栄を求めてここに来る。海の向こうに幸せな人生があると考えるのだろう」とため息交じりに語った。

子供たちの将来への不安が欧州密航へと背中を押す

 Aさんは私がカイロにいたころから、「いつか欧州に行きたい」とは言っていた。しかし、Aさんは先にドイツに渡った知人から「密航は厳しすぎて、あなたにはできない」と言われたと話していた。事務系の仕事をし、太り気味のAさんを見ると、海を渡ったり、山を越えたりすることに耐えられるとは思えなかった。Aさん自身も危険が伴うことは承知している様子で、「危険を冒すつもりはない」と言っていた。そのAさんがなぜ、危険な密航を決行したのだろうか。

 Aさんはダマスカスの高校卒業後、ビジネススクールでカスタマーサービスを学び、ベイルートのフランス系のスーパーマーケット「カルフール」で採用され、その後、サウジアラビア、ドバイの系列店でもそれぞれ2年間働いた。シリア内戦が始まると、カイロに移り、しばらくカイロのカルフールのカスタマーサービスで働いていた。

 Aさんの心境の変化は、エジプトの変化を映していた。最初にカイロに来た時は、エジプト革命後に選挙で選ばれたイスラム系大統領の政権で、シリアの反体制派を支持し、シリア難民を歓迎する政策だった。ところが2013年夏、軍のクーデターが起き、イスラム系大統領が排除されると、政府はアサド政権支持となり、シリア難民に厳しい政策へと変わった。「エジプトではシリア難民は就業が認められず、生活が困窮した」という。

 さらに、2013年に長男が生まれ、2015年に長女が生まれたことが、欧州密航へとAさんの背中を押した。「エジプトにいても、シリアに戻っても、子供たちの将来はない。まともな生活の基盤も出来ず、まともな教育を受けさせることもできない。子供の将来を考えると、海を渡るしかなかった」という。ドイツで滞在許可が得られたら、妻と子供2人を呼び寄せるという。「私だけだったら、危ない密航をしようとはしなかっただろう」とAさんは語った。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

原油先物は横ばい、米国の相互関税発表控え

ワールド

中国国有の東風汽車と長安汽車が経営統合協議=NYT

ワールド

米政権、「行政ミス」で移民送還 保護資格持つエルサ

ビジネス

AI導入企業、当初の混乱乗り切れば長期的な成功可能
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story