コラム

イギリス新生児連続殺人、看護師の凶行から目をそらし続けた病院の罪

2023年09月08日(金)14時30分
新生児殺害で取り調べを受けるルーシー・レトビ

新生児殺害で取り調べを受けるルーシー・レトビー Cheshire Constabulary/Handout via REUTERS

<数多くの新生児を病院で殺害していた看護師ルーシー・レトビーが終身刑の判決を受けたが、犯罪者にとって絶好の職場になり得る病院は何を怠ったのか>

イギリスの(国民保健サービス)NHSの病院で数多くの新生児を殺害したとして看護師のルーシー・レトビーが終身刑の判決を受けた事件は、イギリス中に衝撃と驚きをもたらした。「よりによって看護師が!」と人々は言う。

衝撃と嫌悪感は分かるが、驚くことではない。イギリス史上最悪の連続殺人犯であるハロルド・シップマンは、NHSの医師で、その立場を利用して多くの高齢患者を殺害した。彼の前には、1991年に4人の乳児殺人と3人の乳児に対する殺人未遂の罪で、看護師のビバリー・アリットが有罪判決を受けた。

こうした犯罪者を駆り立てる胸の内の悪意は理解し難いが、ゆがんだ人格の持ち主が犯行の機会を狙っていることは推測できる。彼らにとって絶好の職業は、か弱い人々のケアをする立場にいて、そのケアを任されていて、証拠を覆い隠せる医学知識を持ち合わせていることだ。

だから、NHSが組織として危険性を警戒する必要があるのは明白。だがNHSはそうしなかった。シップマンの事件では、どれも同じ担当医の名前が記された死亡証明書と共に異常な数の遺体が運ばれてきていることを、ある葬儀業者が当局に通報した。今回のレトビーの事件では、数多くの新生児死亡と不測の事故が、同一の看護師が居合わせている時にあり得ないほどの確立で起こっている、と医師たちが再三指摘していた。言い換えれば、見聞きしたことをつなぎ合わせて推測したのは、組織ではなく組織内にいた個々人であり、信じ難いことに彼らは苦しい立場に追いやられた。

病院の上層部は騒動を隠し通そうとし、ある時には医師たちに、彼らの追及がレトビーを「苦しませた」として謝罪するよう強いたことさえあった。病院トップはあたかも、殺人犯を捕らえることよりも病院の評判のほうが大事だったようだ。彼らは警察に報告書の提出を拒み、レトビーを患者と接する仕事から外すことで問題は「解決済み」だと考えていたようだった。新生児の命が奪われ、両親の人生が滅茶苦茶にされた状況で、病院側は役人的な考え方に終始していた。

統計的な傾向を見ても、大きな赤信号が点滅していた。シップマンの事件の教訓は明らかで、僕ですら知っている。シップマンの患者たちは、彼の午後の往診時に死亡する割合が驚異的に高かったという。普通は夜の方が患者の死亡率は高いものだし、定義上は在宅の患者は病院に運び込まれている場合よりも体調が悪くないことが多いにも関わらず。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

タイ、米関税で最大80億ドルの損失も=政府高官

ビジネス

午前の東京株式市場は小幅続伸、トランプ関税警戒し不

ワールド

ウィスコンシン州判事選、リベラル派が勝利 トランプ

ワールド

プーチン大統領と中国外相が会談、王氏「中ロ関係は拡
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story