コラム

伝えられないサウジ、湾岸、イランの新型コロナ拡大

2020年03月30日(月)18時30分

ウムラ(小巡礼)から帰国したトルコ人が感染、とトルコ当局

サウジアラビアの場合、感染源はイランだけではない。たとえば、サウジアラビア保健省は3月22日、新型コロナウイルス感染者が新たに119人確認され、そのうち72人がトルコ人だと発表した。イスラーム最大の聖地マッカ(メッカ)で隔離されているようなので、おそらくウムラ(義務ではない巡礼、日本語では小巡礼ともいう)でサウジアラビアに入国したのであろう。

一方、トルコのファフレッティン・ホジャ保健相は3月13日、サウジアラビアにおけるウムラから帰国したトルコ人が新型コロナウイルスに感染していたと発表している。さらに、トルコではウムラから帰国した1万人以上を隔離したとされる。隔離されたものから感染者が出たかどうかについては、残念ながら調べきれていない。

サウジアラビアやトルコで感染が確認されたり、隔離されたりしたトルコ人がいつウムラを行ったのかはわからない。ただ、誰が持ち込んだかわからないものの、マッカがすでに新型コロナウイルスによって汚染されていた可能性は高く、場合によっては、マッカが感染源になったこともありうる。

実際、サウジアラビアは2月26日の時点でウムラとマディーナの預言者モスク参詣を一時的に停止すると発表しており、その危険性は十分認識していたであろう。実際のところ、マッカでもかなりの感染者が出たことが公式に報告されている。

ハッジ中に死ぬことはジハードで殉教するにひとしい

サウジアラビアにとって、より大きな問題は7月29日から8月2日ごろに当たる巡礼(ハッジ)のほうである。ハッジは、ムスリムであれば、一生に一度ははたさなければならない義務であり、それゆえ日本では、任意の小巡礼=ウムラとの対比で、しばしば大巡礼と訳される。

ただし、ハッジを実行するのは「ハッジを行う体力・財力のあるもの」という条件がついている。老齢や病気で体力が弱っていたり、渡航費をまかなえない場合は、ハッジをしなくてもいい。

イスラームの1400年以上の歴史で、聖地を管理する側からハッジが停止されたことがあったかどうか、寡聞にして知らない。実は、歴史的にみると、マッカ巡礼は何度も困難な状況に直面してきた。10世紀に過激シーア派のカルマト派がカァバの黒石を盗む事件があったし、道中の遊牧民などによる略奪は頻繁にあった。

伝染病が発生したケースも少なくない。中世の黒死病しかり、また近現代ではコレラやインフルエンザの流行が散発的に発生している。最近ではサウジアラビア発のMERS(中東呼吸器症候群)騒ぎも記憶に新しい。

しかし、それらを理由に、管理者(たとえば、オスマン帝国、ハーシム家、サウード家等)が巡礼を全面的に停止したという事例は、真剣に調べたわけではないが、少なくともわたしには見つけられなかった。とはいえ、とくに近現代になって情報網が発達すると、マッカのあるヒジャーズ地方で伝染病が発生するような場合、送り出す側の国が、自国民の巡礼を禁止する、規制するというケースは何度もあった。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

東京海上、クマ侵入による施設の損失・対策費用補償の

ワールド

新興国中銀が金購入拡大、G7による凍結資産活用の動

ワールド

米政権、「第三世界諸国」からの移民を恒久的に停止へ

ワールド

中国万科をS&Pが格下げ、元建て社債は過去最安値に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果のある「食べ物」はどれ?
  • 4
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 5
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 6
    がん患者の歯のX線画像に映った「真っ黒な空洞」...…
  • 7
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「攻めの一着すぎ?」 国歌パフォーマンスの「強めコ…
  • 10
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 3
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 4
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 5
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 6
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 10
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story