コラム

伝えられないサウジ、湾岸、イランの新型コロナ拡大

2020年03月30日(月)18時30分

米トランプ政権の制裁等でイランは生命線でもある石油を輸出することすらできず、経済状況はきわめて悪化していた。そのため、昨年から国内各地で政府に抗議する大規模なデモも発生しており、今年になってからは米国による革命防衛隊ゴドス部隊のガーセム・ソレイマーニー司令官殺害とイランでのウクライナ機の誤爆事件に端を発し、ふたたび各地で抗議運動が起きていた。

そうした状況のなか、今回のエピデミックがイランを襲ったのである。皮肉にも感染拡大でデモや抗議運動は静かになってしまったが、状況が落ち着けば、さらなる経済状態の悪化という事態に直面するのは明らかである。

イランと国交を断絶している国からイランに行っていた人たち

イランの新型コロナウイルス感染拡大は、イランだけでなく、周辺諸国にも深刻な影響をおよぼしている。

たとえば、湾岸アラブ諸国では3月28日現在、サウジアラビアで1104人の感染者が確認され、カタル(カタール)で562人、バハレーン(バーレーン)も473人、イラクでは458人、UAEでは405人、クウェートが225人、オマーンでも152人を記録している。また、湾岸ではないが、イランとの結びつきが深いレバノンでも感染者数が391人となった。

実は、これらの国の感染者の多くがイランから帰国した自国民なのである。

これらの国のうちサウジアラビアとバハレーンはイランと国交を断絶している状態であり、常識的に考えれば、これら両国の国民がそんなにたくさんイランにいたこと自体がおかしい。彼らはおそらく両国のシーア派信徒で、イラン国内のシーア派聖地を参詣したり、シーア派の研究を深めるため、イランに留学したりしていたものと考えられる。彼らにとっては、政治的な関係よりも、宗教的なつながりのほうが重要だったのだろう。

一方、カタルやUAEでは、これらの国ほどシーア派人口が多くないので、イランとの政治・経済的な関係から感染が拡大したとも考えられる。実際、イランから帰国したサウジ人やバハレーン人は、UAEやクウェート、オマーンなどイランとの国交を維持している湾岸諸国を経由して帰国したり、経由地で隔離されたりしている。

イラン国内の感染状況をみても、最初の感染者が出たゴムは、シーア派の知的中心地であり、シーア派第7代イマームのムーサー・カーゼムの娘で、第8代イマームのレザーの妹であるファーテメ・マァスーメの廟がある。また、同様に感染の中心になっていたマシュハドにはそのレザーの廟があり、いずれも、多くのシーア派信徒の巡礼の場となっている。

はっきりした数字が出ているわけではないが、たとえば、クウェートは、臨時便を使ってマシュハドから700人以上のクウェート人を避難させたとされる。クウェートはもちろんイランと国交を維持しているので、ふつうにいけるのだが、サウジアラビアやバハレーンにおける感染者の数を考えると、クウェート人以上のシーア派信徒がイランに渡っていたとも推定できる。

ただ、いずれにせよ、サウジ人やバハレーン人のシーア派信徒が、両国政府の許可をえずに、イランに渡航していたことは否定できない。イラン側もそれを知りつつ、入国に際し、旅券にスタンプを押さないなどの配慮をしていたといわれている。アラブ諸国のスンナ派側からは、こうしたイラン側の対応について、生物兵器にひとしいと非難する声も上がっている。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、FDA長官に外科医マカリー氏指名 過剰

ワールド

トランプ氏、安保副補佐官に元北朝鮮担当ウォン氏を起

ワールド

トランプ氏、ウクライナ戦争終結へ特使検討、グレネル

ビジネス

米財務長官にベッセント氏、不透明感払拭で国債回復に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでいない」の証言...「不都合な真実」見てしまった軍人の運命
  • 4
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 5
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 6
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 7
    プーチンはもう2週間行方不明!? クレムリン公式「動…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたま…
  • 10
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 4
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 5
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 9
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 10
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story