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日本製品は安いけれど劣悪、アラビア語の「日本製」は「尻軽女」を意味していた
実際、吉田使節団後の日本と中東との関係を見てみると、政治的な関係よりも経済的な関係のほうが圧倒的に大きい。吉田のあと、1896年にイラクを訪問した日本陸軍の情報将校、福島安正は、すでにイラク南部のバスラで大量の日本製マッチが売られていたことを発見している。しかも、品質は劣悪で、日本の商人たちが、目先の利益しか考えず、あくどい商売を行っていると批判しているのだ。
日本と中東の関わりというと、多くの人が石油を思い浮かべるだろう。しかし、実際には中東で石油が発見されるずっとまえから、日本は中東の各地域と強力な経済関係を構築していたのである。20世紀に入ると、日本の中東進出はさらに加速し、1920年代にはイラクを含む大半のアラブ諸国で日本は主要貿易相手国にまでなっていた。意外と知られていないが、たとえば、イラクでは1920年代からアサヒビールまで売られ、人気を博していたのだ。
もちろん、日本は、石油がいかに重要であり、そして中東で油田が発見されるかもしれないことを十分理解していた。イラクにおける油田発見は1927年だが、それ以前に有名な地理学者の志賀重昂や地質学者の金原信泰、日本石油や帝国石油の幹部を務めた大村一蔵らがイラクを訪問、イラクにおける石油の可能性に言及しているのだ。
たしかに、この時期、アカデミズムや軍、外務省、商工省(現在の経産省)は石油からみた中東の重要性を盛んに喧伝しており、それもあって日本国内で一種の中東ブーム、イスラーム・ブームのようなものも起きていた。
巷では、欧米列強の植民地支配に苦しめられていた中東や中国のムスリム(イスラーム教徒)たちが日本に期待し、日本をアジアのリーダーと考えているなどといった言説も氾濫していた。このころ日本ユダヤ同祖論を主張した酒井勝軍やキリストが日本で死んだと唱えた山根キクなど、日本と中東を無理やり結びつけるトンデモ説が現れたのはこうした「ブーム」と無関係ではないだろう。
ちなみに、当時、日本における数少ないイスラーム世界の専門家と目されていた外交官の笠間杲雄は、日本がリーダーとなるべきだと考えているイスラーム教徒などほとんどいないと冷静に分析し、こうした浮ついた風潮に警鐘を鳴らしている。
イラクの街中は今、チープであやしげな中国製品で満ち溢れている
前述のとおり、1920年代後半から1930年代にかけて日本は、大半の中東諸国で最大の貿易相手国の一つになっていった。ただし、日本製品はほとんど、いわゆる「安かろう悪かろう」で、値段は安いけれど品質は劣悪というものであった。しかも、それが洪水のように市場を席巻したため、あちこちで摩擦を起こしていたのである。
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