コラム

中東の沙漠で洪水が頻繁に発生する理由

2018年12月21日(金)16時00分

水はとにかく貴重、雨乞いは国家的な行事となる

もう一つの沙漠の洪水も基本的には雨が原因となる。アラビア語に「ワーディー」という語がある。日本では「ワジ」と呼ばれることもあり、しばしば「枯れ谷」「枯れ川」と訳される。訳からも想起できるように、ワーディーとはふだんは何もないが、ときおり川が現出する場所を意味する。

沙漠にいくと、水が流れていないときでも、だいたいワーディーの場所はわかる。水がとおるところだけ砂や土がえぐれており、沙漠のなかをウネウネと道のように長くつづいているからだ。また、長期にわたって、水の流れが大地をえぐりつづけ、谷となったところもある。

ワーディーでは沙漠に雨が降ると、突発的・単発的に水が流れはじめることもある。だが、通常、ワーディーが川となるのは雨季である。ワーディーに水が流れはじめる瞬間を見たことはないのだが、現地の人に聞いたところによると、しばしば鉄砲水のように轟音とともに水が押し寄せてくることがあるらしい(沙漠とはいえ、かならずしも水はけがいいところばかりではない)。

ヨルダンのペトラのように、岩をくりぬいたような地形では、まさに観光客が移動する道が鉄砲水の進路にもなってしまうのだ。なお、ペトラ遺跡の最寄りの町にワーディー・ムーサーというところがある。近くにモーゼの泉と呼ばれるところがあり、ペトラを築いたナバタイ人はそこからペトラまで水を引いていたとの伝説もあるが、この地に古い時代から大きな水流があったことが想像されるだろう。

沙漠は本来、人の住むところではないので、ワーディーなどで洪水の被害にあうことはそれほど多くなかったはずだ。しかし、近年、中東諸国では人口増が著しく、多くの地域で土地開発が進んでいる。都市が拡大し、沙漠を「侵食」したり、沙漠に突然町が出現したりすることもある。

そうすると、場合によっては、沙漠の地形が変わってしまい、雨が降ると、これまでになかった方角に水が流れてしまうこともあるかもしれない。現代の中東の諸都市で発生している洪水の多くも、広い意味では、本来の自然の地形を無視した都市計画に原因があると考えられないだろうか。

乾燥して、夏の日中の気温が摂氏50度を超えようという中東では、水はとにかく貴重である。雨が降らなければ、洪水も起きないが、降らなければ降らないでもっと深刻な影響が出る。だからこそイスラーム世界では雨乞いが国家的な行事となる。

たとえば、サウジアラビアでは、しばしば全国で一斉に雨乞いの礼拝(イスティスカー)が行われる。そして、そのお触れは国王の名で出されるのだ。雨乞いは、宗教権威でもあるサウジ国王の権能の一つでもある。一方、国家元首に宗教性のない国ではだいたい宗教(イスラーム)大臣の名で雨乞いのお触れが出される。どちらにせよ、雨乞いは国家が司る行事なのだ。

もちろん、雨乞いの礼拝を行ったからといって、かならず雨が降るわけではないし、降れば降ったで、洪水になる恐れもある。自然はなかなか思うにまかせないものだ。

有名なハディース(預言者ムハンマドの言行録)に「最後のときは、アラブの地に牧場や河川が戻るまで、起きることはない」というのがある。「最後のとき」とは「最後の審判」のことである。アラブの沙漠に川ができ、都市が建設されているのは、よもや最後の審判の予兆ではあるまいか。

ニューズウィーク日本版 トランプの帝国
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2026年2月10号(2月3日発売)は「トランプの帝国」特集。南北アメリカの完全支配を狙う新戦略は中国の覇権を許し、世界の経済勢力図を完全に塗り替える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

マレーシア、今年の成長予測上げも AIブームが後押

ビジネス

英建設業PMI、1月は46.4に上昇 昨年5月以来

ワールド

ドイツ企業、政府の経済政策に低評価=IFO調査

ワールド

ビットコイン下げ止まらず、7万ドル割れ目前
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの帝国
特集:トランプの帝国
2026年2月10日号(2/ 3発売)

南北アメリカの完全支配を狙うトランプの戦略は中国を利し、世界の経済勢力図を完全に塗り替える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 2
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染拡大する可能性は? 感染症の専門家の見解
  • 3
    グラフが示す「米国人のトランプ離れ」の実態...最新世論調査が示すトランプ政権への評価とは
  • 4
    エプスタインが政権中枢の情報をプーチンに流してい…
  • 5
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 6
    ユキヒョウと自撮りの女性、顔をかまれ激しく襲われ…
  • 7
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 8
    トランプ不信から中国に接近した欧州外交の誤算
  • 9
    アジアから消えるアメリカ...中国の威圧に沈黙し、同…
  • 10
    「右足全体が食われた」...突如ビーチに現れたサメが…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「副産物」で建設業界のあの問題を解決
  • 4
    日本への威圧を強める中国...「レアアース依存」から…
  • 5
    ロシア軍の前線で「弾よけ」にされるアフリカ人...兵…
  • 6
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 7
    「出禁」も覚悟? ディズニーランドで緊急停止した乗…
  • 8
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 9
    町長を「バズーカで攻撃」フィリピンで暗殺未遂、大…
  • 10
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 8
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story