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焦点:米大使館移転で中東緊迫化、「エルサレム問題」とは何か
5月14日、米国は、在イスラエル大使館をエルサレムに移転した。イスラエルがこれを歓迎する一方で、パレスチナ人は激怒している。写真は、新大使館の刻板近くに立つイバンカ米大統領補佐官(2018年 ロイター/Ronen Zvulun)
Stephen Farrell
[エルサレム 14日 ロイター] - 米国は14日、在イスラエル大使館をエルサレムに移転した。イスラエルがこれを歓迎する一方で、パレスチナ人は激怒している。
オープニングセレモニーは、エルサレムのアルノナ地区にある米領事施設で行われた。より大きな場所が見つかるまで、ここに暫定的な米大使館が置かれ、少数の職員が勤務することになる。
この施設は、第1次中東戦争で「ノー・マンズ・ランド(中間地帯)」から西エルサレムを切り離した1949年の休戦協定ラインにまたがっている。イスラエルは1967年の6日間戦争(第3次中東戦争)で中間地帯を占拠。以降、実効支配を続けている。
トランプ米大統領は昨年12月、長年にわたる米国の政策を転換し、エルサレムをイスラエルの首都と認める決断を下した。今回の大使館移転はこれを受けた措置となる。
イスラエルのネタニヤフ首相は、トランプ氏の決断を歓迎。「ユダヤ人が3000年間、エルサレムと呼ばれる地を首都としてきた」ことを反映するものだと述べた。
だが、アラブ世界と西側同盟国は動揺している。パレスチナ自治政府のアッバス議長は、今回の措置は「侮辱」であり、イスラエルとの和平交渉において、米国をもはや誠実な仲介役と見なすことはできない、と非難した。
トランプ大統領は、米国政府が和平に向けた提案を準備中であり、米国にとって最も緊密な同盟国イスラエルの首都としてエルサレムを認定することにより、「協議において最も難航が予想されるエルサレム問題を交渉のテーブルから外した」と語った。
この問題を巡るいくつかの疑問点をまとめた。
●なぜトランプ氏はエルサレムを首都認定し、大使館移転を発表したのか。
米政界では長年、イスラエル寄りの政治家から米大使館をテルアビブからエルサレムに移すよう求める圧力があり、トランプ氏は2016年の大統領選で大使館移転を公約に掲げていた。
ペンス副大統領とトランプ氏が指名したデービッド・フリードマン駐イスラエル大使が、エルサレムの首都認定と米大使館移転を強く後押ししたと考えられている。
この決定は、トランプ、ペンス両氏に投票した多くの保守層と福音主義キリスト教徒たちに支持された。
トランプ氏の行動は、エルサレムへの大使館移転を定めた1995年の「エルサレム大使館法」に基づいている。クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、オバマら歴代大統領は一貫してその実行を権利放棄してきた。
トランプ大統領は昨年12月6日に大使館移転を発表し、同法を引き合いに出し、歴代前任者たちを「意気地なし」と非難。「彼らは実行しなかった。だが今日、私は実行している」と語った。
●エルサレムはなぜ中東紛争でこれほど重要な役割を担っているのか。
それは、宗教、政治、そして歴史的な理由からだ。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、エルサレムにはそれぞれの宗教が重要視する場所がある。
数千年もの間、住民たちや地域の大国、そしてエジプト人やバビロニア人、ローマ人、イスラム教支配者、十字軍、オスマン帝国、大英帝国といった侵略者たち、また現代ではイスラエルやアラブ諸国が、エルサレムを巡ってさまざまな争いを繰り広げてきた。
イスラエル政府は、エルサレムを永遠かつ不可分の首都と見なしているが、国際的にはその主張は認められていない。パレスチナ人は、東エルサレムが将来のパレスチナ国家の首都でなくてはならないと主張している。ユダヤ人はエルサレムまたはイェルシャライムと呼び、アラブ人はクドス(「聖地」の意)と呼ぶ。
エルサレム旧市街中心部にある丘は、ユダヤ教では「神殿の丘」、イスラム教では「ハラム・アッシャリーフ(高貴なる聖域)」として知られる。古代ユダヤ寺院の遺跡があり、ヘロデ大王によって築かれた神殿を囲む西側の「嘆きの壁」はユダヤ教徒が祈りをささげる聖地となっている。
壁からほど近い場所には「岩のドーム」と「アルアクサ・モスク」というイスラム教の聖地がある。同モスクは8世紀に建設された。イスラム教徒にとっては、メッカとメディナに次ぐ第3の聖地だ。エルサレムはキリスト教徒にとっても巡礼の地であり、イエス・キリストが教えを受け、処刑され、復活した場所としてあがめられている。
●エルサレムの現代史と現在の状況は。
国連総会は1947年、当時英国が委任統治していたパレスチナについて、アラブ国家とユダヤ国家に分割されるべきとする決議案を採択した。同決議案は、エルサレムの特別な扱いを認め、ベツレヘムとともに国連が「分離体」として管理する方法を提案していた。
しかしそれは実現しなかった。英国によるパレスチナ支配が1948年に終了すると、ヨルダン軍がエルサレム旧市街とアラブ人が居住する東エルサレムを占拠。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダンから東エルサレムを奪い併合したが、国際的には認められていない。
イスラエル国会は1980年、エルサレムが首都として「完全かつ統合」された都市だと宣言する法案を可決。しかし国連は、東エルサレムは占拠されているものとみなしており、エルサレムの状況は、イスラエルとパレスチナの交渉によって解決されるまで係争中としている。ヨルダン国王は、イスラム教の聖地を管理する役割を維持している。
●エルサレムに大使館を置く国は他にもあるのか。
グアテマラは16日、大使館をテルアビブからエルサレムに移転する。パラグアイも今月末までに移転する予定だ。
ネタニヤフ首相は4月、米国の移転決定を受け、少なくとも6カ国が真剣に同様の措置を検討していると語った。ただし、その6カ国がどの国であるかは明らかにしなかった。
国連総会は昨年12月、エルサレムの首都認定を取り下げるよう米国に求める決議案を、128カ国の賛成によって採択している。反対は9カ国、棄権は35カ国。同決議には法的拘束力はない。
●次に何が起きるか。
米国大使館の移転が発表されて以降、エルサレムやガザ、ヨルダン川西岸でパレスチナ人による抗議活動が活発化し、緊張が高まっている。ガザの境界沿いで6週間にわたり続く抗議デモでは、イスラエル軍部隊との衝突により、パレスチナ人60人近くが死亡している。
5月15日はパレスチナ人にとって、1948年5月14日にイスラエルが建国され、大量のパレスチナ難民が発生した日として記憶されている。その前日に米大使館が移転されたことで、この日に特別な意味が込められることを考慮すれば、デモは15日に最高潮に達するだろう。
パレスチナ人のデモ参加者とイスラエル軍との衝突は、1987─1993年と2000─2005年の第1次・第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)の規模には及ばないが、主権と宗教の問題を巡ってはこれまでにも暴力が発生している。
1969年、オーストラリアのキリスト教徒がアルアクサ・モスクに火を放ち、損傷を与えた。第3次中東戦争からわずか2年しかたっておらず、中東の政治情勢が過熱する中、アラブ世界に怒りが渦巻いた。
2000年当時、イスラエルの野党党首だったアリエル・シャロン氏は同国議員の一行を引き連れて「神殿の丘」(ハラム・アッシャリーフ)を訪問。パレスチナ人はこれに抗議し、イスラエル側と衝突。すぐさまアルアクサ・インティファーダ(第2次)として知られる蜂起にエスカレートした。
昨年7月には、イスラエル警官2人がアラブ系イスラエル人に射殺された事件を受け、イスラエルがエルサレム聖地の入り口に金属探知機を設置したことにより衝突が発生し、死傷者が出る事態に発展した。
アラブ諸国の指導者は、米国による一方的な措置は混乱を招き、長く停滞するイスラエルとパレスチナによる和平交渉の再開に向けた米国の努力を無駄にしかねないと警告している。
(翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
*「神殿の丘」の説明を修正して再送します。