五輪に投影された日本人の不安は、どこから来たものだったのか
そんな時代の人間を体現するのが、シェークスピアが1601年頃に執筆した『ハムレット』の主人公だ。彼は全ての真実を疑って自身の判断だけに頼り、生きる目的を求めてもがき、無意味で空虚だと見なした人生に対する唯一の解決策として自殺を考える。
「個人」の称賛と孤立、伝統的権威の失墜、相対主義と疑念の拡大に対して、文化や宗教、さらに人間自身は繰り返し抵抗してきた。
多くの国で暴徒が非人間的な機械を破壊し、「不信心者」は爆殺され、哲学者や経済学者や預言者は魂のない物質的世界を打破すべく、解釈と解答を編み出してきた。
だが何をもってしても、解き放たれた個人の理性の力や、知識や力の増大の条件にして結果でもある疑念を止めることは不可能だ。人生の方向性を見失い、伝統や社会的つながりと切り離された場合に付き物の不安も......。
1853年に黒船と共に「近代」が来航して以来、日本は文化的津波を何度もくぐり抜けてきた。あらかじめ定められた社会的宿命に縛られることは、ほとんどなくなった。だが自由とは、方向性や居場所、目的の喪失をも意味しかねない。
日本の運命はアメリカや中国、新たな経済的・科学的プロセスといった外部からの作用によって大きく形作られる。日本にとって異質なものや慣行が、日本生まれのものと同じく日本人の生活に影響を与える。
それでも、現代主義は個人を重視するにもかかわらず、日本社会では今も同調性が重んじられる。
この両極に引き裂かれることを回避する方法の1つが、文字どおり引きこもることだ。さもなければ、日本社会の大半と同じく、孤立と矛盾が招く不安にさいなまれかねない。
「引きこもり」からの脱出
断絶的で革新的な現代化という勢力を前に、引きこもりが世間に背を向ける一方で、ジハーディストやトランプ支持者は暴力で抵抗する。
だがいずれの反応も、彼らが逃避や撃退を図る本質的現象の副産物にすぎない。従来の手法を打ち砕き、現状を破壊し、個人を中心に据えるにもかかわらず孤立させる現代化にはどうやってもあらがえない。
日本は「全てに可能性があり、一方で確実なものは何もない」ポストモダン社会に変貌している。そこでは同調をよしとする伝統的価値観が、現代的な個人の概念と衝突する。
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