アメリカのシンクタンクが世界を動かす力を持つ理由
こうしたシンクタンクの発展を支えたのは学者をはじめとする情報提供者、つまりスパイの先駆けだ。第一次大戦後の1919年、ウッドロー・ウィルソン米大統領はパリで開かれる講和会議に赴くには専門家の助言が必要だと考えた。この会議では、複雑な問題が協議される上、敗戦国ドイツの領土を狙う戦勝国のフランスやイギリスに対抗して、アメリカの立場を打ち出さねばならない。
かくしてあらゆる分野から情報を収集するアメリカ初の調査機関「インクワイリー」が誕生。ウィルソンはそのメンバーである学者たちをパリに同行させ、彼らの分析を参考にベルサイユ宮殿の輝くシャンデリアの下で各国首脳と渡り合った。
実は、講和条約の内容に大きな影響を与えたウィルソンの「14カ条の平和原則」を生み出したのもインクワイリーの学者たちだ。この原則は第一次大戦後のアメリカ外交の枠組みとなり、世界中の人々に希望を与え、「民族自決」の旗を掲げ、西欧列強の帝国主義に弔鐘を鳴らした。
講和会議後、インクワイリーは人知れず2つの関連した組織に変容した。その1つは東海岸の国際派エリートたちのグループ。ニューヨークのマンハッタンを拠点とした彼らは、第二次大戦に先立つ何年か、イギリスの諜報機関とアメリカの大統領の連絡係を務めた。そこから1942年にアメリカ初の連邦情報機関が生まれる。それがCIAの前身組織、OSS(戦略事務局)だ。
右派と左派が綱引きを展開
インクワイリーから生まれたもう1つのグループは、1921年に設立されたシンクタンクである外交問題評議会の創設メンバーだ。彼らもまた、マンハッタンに拠点を置いた。
第二次大戦後にアメリカがようやく世界の最強の国の役割を引き受けると、シンクタンクが各地に続々と設立された。それらの機関に期待されたのは、中立的な立場で高度な専門知識を提供することだ。
1948年に設立されたランド研究所は、政府から独立した立場の学者たちが超党派的なアプローチで政府の政策に関連した知識を提供する機関であり、宇宙開発や情報技術の専門家もいて、米軍は継続的に彼らの研究開発の成果を利用できた。終戦から間もない1946年、ランド研究所の前身プロジェクトランドは初の報告書「実験周回宇宙船の予備設計」をリリースした。
トランプが命じた「出生地主義の廃止」には、思わぬ悪影響が潜んでいる 2025.01.31
大統領の「自爆」クーデターと、韓国で続いていた「軍人政治」 2024.12.26
民主主義の危機は民主主義のシステムそのものに内在している 2024.12.14
元CIA工作員が、かつての敵国ベトナムを訪問して新たに発見したこと 2024.11.27
リアリストが日本被団協のノーベル平和賞受賞に思うこと 2024.10.22
-
外資系顧客向けシステムエンジニア/システムインテグレータ・ソフトハウス
株式会社リファルケ
- 東京都
- 年収450万円~1,260万円
- 正社員
-
経験1年必須/ITコンサル/SE/Sierからコンサルタントへ/外資系プロジェクト有/残業少
株式会社ノースサンド
- 東京都
- 年収500万円~1,600万円
- 正社員
-
経験者優遇!Recruitment Consultant「外資系製薬・メディカルデバイス領域専任」
株式会社ジェイ エイ シー リクルートメント
- 東京都
- 年収550万円~1,500万円
- 正社員
-
「外資系クライアント支払コーディネーター」英語力を活かす!“サポートする”やりがい+働きやすい職場環境
RSM汐留パートナーズ株式会社
- 東京都
- 年収350万円~500万円
- 正社員