ハロウィンが栄えて国が滅ぶ理由
「光と影の魔術師」と呼ばれた近代絵画の巨匠・レンブラントは、人物に過度ともいえる照明(ライティング)を施すことによってその陰影を際立たせ、劇的で動的なオランダ黄金期の市井の人々を描いた。レンブラントは、被写体に強烈に照射された光は、と同時に漆黒の暗部を宿すという絵画的構造を見事に様々な作品の中に活写した。
このレンブラントの「光と影」の構図は、そのまま今日的日本社会に当てはまるものと言えよう。ハロウィンでハレ(非日常)に浮かれ、マスメディアが彼らに光を当てれば当てるほど、と同時に漆黒の暗部の輪郭が際立つ。ハロウィンで浮かれれば浮かれるほど一部の「友人力」を駆使した特権階級の「明」は、残酷にもそれに参入することすらできない「暗部」の稜線を私たちの眼前に叩き付けるのである。
しかもそれは、例えば学力といったある程度努力すれば相応の向上が見込める、といった公平なものでは無い。ハロウィンに参入できる「友人力」は、学力と違ってその向上に努力の要素が少ない。例えば、中学・高校と付属校からエスカレーターで大学に内部進学した大学生は、社交性と友人力を努力することなくそれ以前の段階で身に着けている。
一方、裸一貫で上京した非内部進学生は、学力は努力で何とかなるが、この社交性や友人力はそういった努力で向上できるものでは無いことにはたと気がつく。社交性や友人力の涵養は、長い期間とセンスが必要であり、こうすれば上昇するという定石は存在しない。
幻の「大学デビュー」
それは長く安定した環境の中で、ダイヤの原石を研磨するが如き行為であり、それこそ自然な「振る舞い」としてゆっくり涵養されるもので、これを18歳とか20歳の段階で自然と身に着けられたものと、ゼロから出発する者とでは、どだいスタートラインが何周も何キロも遅れているのである。
これが大学に入学したとたん、それまで男女交際も友達も禄にできなかったニキビ面の男子生徒が、途端に社交性を身に着けサークルの寵児になる──というありもしない幻想が「大学デビュー」である。「大学デビュー」など、この世には存在しない。大学デビューは、大学に入る前の中学・高校の6年間の過ごし方ですべてが決まっており、入学してからでは手遅れである。
しかしそんな不都合な事実を隠ぺいして、メディアのプロパガンダを鵜呑みにし、未だに「大学デビュー」が出来るものと疑わない若者は、自由放任の大学空間で途端に孤立し、「ハロウィン」どころか学食にも行くことができなくなる。中学・高校の6年間で、学力向上以外に何もしなかった者が、まして「ハロウィン」に参加できるなどとは、毛沢東の大躍進政策よりも遥かに実現不可能な空想なのである。
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