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『仮面ライダー BLACK SUN』──「非暴力という欺瞞」を暴く問題作
日本では1970年、いわゆる華青闘告発が起こる。東大安田講堂事件の翌年だ。華青闘告発とは、華僑青年闘争委員会という華人団体が、日本の左翼運動は民族差別問題を軽視しているとして、日本のあらゆる新左翼党派を糾弾した事件で、新左翼運動が(告発への反発を含めて)反差別運動への関心を高めるメルクマールとなった。
人間と怪人の活動家が連帯して反差別闘争を行う黎明期ゴルゴムの「起源」はこのような現実の反差別の歴史とリンクする。しかしこの50年前のゴルゴムが反差別闘争としては敗北に終わったように、反差別の歴史とはまた敗北の歴史でもある。たとえば黒人差別問題を考えてみよう。南北戦争、公民権運動、オバマ、BLM......、黒人たちは多くのものを獲得してきたが、それ以上に多くの敗北を喫してきた。そしてまだ勝利するために戦い続けている。従って、反差別闘争にはゆかりが述べるように「永遠に戦う」覚悟が必要となる。
そして、この敗北の歴史を背負うのが、主人公である南光太郎なのだ。光太郎は敗北の歴史を背負い、創世王を受け継ぎ、さらに光太郎の想いを受け継いだ本作のヒロインである和泉葵に殺害されることによって、怪人の未来をつくりだす。創世王は隷属された怪人の象徴であった。光太郎はその創世王の呪われた生を引き受け、犠牲となることで自由のための礎となる。
解放されるための「暴力」
この作品が視聴者につきつけている大きな課題は、怪人たちが差別と闘うために物理的な暴力を選択することをはっきり描いてしまっていることだ。『仮面ライダー BLACK SUN』は、抑圧された者が抑圧された者を赦し、抑圧者が改心し和解に向かうという、よくある展開にはならず、虐げられた者と虐げる者の敵対性を明確化する。
アルジェリア独立運動に大きな影響を与えた思想家フランツ・ファノンは著書『地に呪われたる者』の中で次のように述べている。「身に引き受けた暴力は、集団を離れてさ迷う者、集団から追放された者たちに、復帰し、己れの場所を再び見出し、再びそこに統合されることを許すのである。かくて暴力は王のごとき完璧な調停者として理解される。原住民は暴力を通じて、暴力によって自己を解放する。この実践が行為者に真理を照らし出す」
ファノンは単なる復讐や憎悪による暴力には否定的で、そのような暴力に動機づけられた政治運動は失敗に終わるとも書いている。にもかかわらず、精神科医でもあったファノンが抵抗のための暴力を肯定するのは、抑圧者が長年受け続けてきた暴力を治療できるのは暴力をもってしかないと考えるからなのだ。
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