コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
東京が奏でる人工音のシンフォニー
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ
外国から東京に帰ってくるたびに、耳を調整する必要に迫られる。
外国の都市では、議論する声や笑い声、大声での会話などさまざまな声が入り乱れている。ところが東京に足を踏み入れた瞬間、自動ドアがガチャンと閉まる音や自動販売機から缶が飛び出す音、ビルの谷間に響く車や列車の音に合わせて、耳をチューニングしなければならない。
外国にいるとき、私の耳は人間の声を録音したオーディオブックを聞くモードに設定されているが、東京で聞こえるのは機械の音ばかりだ。
東京の機械音に慣れるには時間がかかる。北京で2年間暮らした経験のある私は、ひたすらしゃべり続ける生活に慣れ切っていた。北京の人々は見知らぬ相手と世間話をし、友人と大声で議論したりはしゃいだりする。
一方、東京はまるで沈黙の街。何週間もの間、誰とも何も言葉を交わさなくても困ることなく生活できる。買い物でも食事でも娯楽でも、一言も発することなく用が足りる。まるで、「言葉を発さない」修行をしている僧侶のための街だ。
■SF映画のサウンドトラックの世界
ただし、東京が静かな街というわけではない。ピッ、ピッという電子音やアラーム、エンジンの音、スピーカーから流れる大音量のアナウンス、エスカレーターや自動ドアの騒音、無数にある自動販売機、車や鉄道、終わりのない工事。人間の話し声は機械の音の洪水に飲み込まれ、未来空間を描いたSF映画のサウンドトラックのような音世界が広がっている。
もちろん、人の声を耳にすることもあるが、最も多いのは機械が発する音声だ。人工的なサウンドにかけては東京は間違いなく世界一。私も、人間より機械に話しかけられる回数のほうが多い日がほとんどだ。
自動ドア(ご来店ありがとうございます)に歩く歩道(足元にお気をつけください)、券売機(領収書が必要な方は〜)、電車(お忘れ物にご注意ください)、エレベーター(5階です)、そしてしゃべるトイレまで! 人工的なサウンドに追い立てられた末にデパ地下のような空間に足を踏み入れると、生身の人間の接客にホッとする。
もちろん、学生の忍び笑いや携帯電話でのヒソヒソ話、恋人同士のささやき、酔っ払いのジョークなどを聞けるチャンスもときにはある。だが、そうした声は注意深く耳をそばだてなければ聞こえてこない。
■街中が「マナーモード」に設定されている
外国の都市と違って、東京では漏れ聞こえてくる人間の話し声が聞き手の耳に押し寄せてくることはない。街中が「マナーモード」に設定され、人間の声は広大な大都会のどこかに吸い込まれていくようだ。
立ち聞きを愛する私にとっては残念なことだ。これほど多くの人がひしめき合っている東京は「立ち聞き天国」のはずなのに、東京人は雑踏のど真ん中でも音のプライバシーを守るために小声で話す。
しかも、人々はたいてい1人で移動し、「会話」といえば携帯メールだけ。まるで声を発しない東京語が存在するみたいだ。
もっとも、そうした東京の不文律を守らなくてもいい場所も存在する。一部のバーや居酒屋では、人間の肉声による愉快などんちゃん騒ぎが繰り広げられている。私にとって、そうした大騒ぎは料理や酒と並ぶ大きな楽しみだ。
渋谷や原宿、秋葉原は若者の楽園だが、ゲームセンターの喧騒や店のアナウンス、大音量のBGMが鳴り響き、若者の声をかき消している。もっとも彼らは、自分たちの声よりも人工音のほうが居心地がよいようだが。
■忘年会シーズンが終わると再び静寂が
忘年会シーズンの1カ月ほどは人間の声が勢力を取り戻すが、大みそかの除夜の鐘が鳴り終わると、街は再び図書館の静寂のような会話のない世界に戻る。
どの街にも、さまざまな音が混じり合った独特の「音楽」が流れているが、東京の場合はボーカル付きのポップ音楽というよりもコンピュータによるインスツルメンタル音楽だ。一見クールな印象だが、全般的に見れば、東京のサウンドトラックは心地よい会話ではなく騒々しいパチンコ店のBGMに近い。
そんなわけで、私はときどき、レコーディングスタジオのような巨大なサウンドミキサーを東京に設置できないだろうかと空想する。そうすれば、鳴り響く電子音の音量を下げたり、人間の声の音量を上げたりして、ミキシングすることができる。
もちろん、実際にはそんなことは無理だ。だから私は代わりに、東京独特のリズムや音に耳をそばだて、言葉を覚える子供のようにこの街が発する言葉を理解しようとしている。
大きな機械音に負けることなく耳に届く人間の声は、小声の「いらっしゃいませ」であれ、偶然聞こえてきた会話であれ、対面のコミュニケーションであれ、一段と美しく、一段と人間らしく聞こえる。
東京が奏でる巨大なシンフォニーには「一聞」の価値があるものの、最高なのはやっぱり人間のボーカルだ。
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