イラク・バスラの復興を阻むもの
バスラ滞在中、ふたつの地元民間企業と会った。ひとつはキャノンの代理店を営む企業、もうひとつはトヨタ車の販売を請け負っている企業で、前者はバスラの有力部族のひとつ、エイダン一族が経営している。後者は、イラク有数の大財閥、ブンニーヤ一族による経営だ。ブンニーヤ一族はスンナ派だが、バスラの代理店の社長さんは一族出身ではなく、シーア派のこれまた名家アルーシ家の出身だ。どちらも日本製品だけでなく、その他幅広く手掛けている。
彼らと会って、一番の疑問をブンニーヤ財閥の社長さんにぶつけてみた。「バスラの復興を地方自治体や政府がやらないんだったら、企業が独自にできないんですか。」
雇われ社長は、困った顔で言った。「怖いんだ、民兵たちが」。
創業一族の唯一の生き残りは、引退してアンマンで身を隠しているという。イラク国内で事業を展開するのは、二代目、三代目たちだ。民兵がシーア派民兵なのかスンナ派の武装組織なのか、彼ははっきり言わなかったが、泥棒も民兵も、ひいては政治組織も皆、大財閥の財産を狙っているということだろう。「社会主義」や「ナショナリズム」など政治がイデオロギーの大義のもとに財産を奪うことは、歴史上繰り返されてきた事実だ。イスラーム革命を謳ったものたちも、例外ではない。
歴代の政権の政策に振り回されて、潰された財閥は数知れない。そのなかで一世紀以上前に設立されたブンニーヤ財閥は、60年代の国有化政策、その後のバアス党政権下の社会主義、統制経済を生き延びてきた。政治が変わっても、うまく立ち回ってきた数少ない老舗財閥だ。
今、バスラには、武人政治がまかり通っている。イスラーム主義を掲げた「革命主義」的政党と地元の部族勢力が入り乱れながら、覇を競い合っている。だが都市バスラには商人の文化、商人政治がある。武人政治と、財閥の商人政治は、相いれない。お互いどう折り合っていけばいいのか、模索しているのか、手が出せないでいるのか。いずれにしても、武人政治一辺倒で物事を進められるマイサンなどとは、そこが違うのかもしれない。
もうひとつ、武人政治が手をこまねいているだろう要因を、同じくブンニーヤ財閥に見た。雇われ社長が嬉しそうに、「うちの大事な右腕」と紹介したのが、イラク南部鉄道会社に勤めていたという技術者である。バスラ、ひいては南部の発展には鉄道整備、拡張がかかせない、と彼は力説する。バスラに地下鉄を作りたいんだ、とも。
彼は、インフラ整備がすべて公共部門に任され、国作りの根幹を担っていた時代を生きてきた、昔ながらのテクノクラートだろう。90年代の経済制裁とイラク戦争で崩壊したとされる、イラクの屋台骨を支えていた中間層に位置付けられる人物だ。
こういう層もまた、武人政治のなかで居場所を失っている。財閥がそれを拾っても、全面的に活躍する場を与えられるわけではない。会って話していて、筆者などはものすごくもったいない感がするのだが、おそらく70-80年代のイラクの経済開発に関わった経験をもつ日本企業も、同じ気持ちだろう。彼らが相手にしていたイラクのカウンターパートというのは、こういう人たちだったからだ。それが今、大半が「旧体制の名残」として重用されずにいる。
発展していないバスラの姿を見るのは物悲しい思いだったが、だが発展しない原因のひとつが、武人政治が都市を席巻できないからだと考えると、席巻できない元中間層と商人政治がまだまだ健在なのは頼もしいぞと、なんとなく腑に落ちた。
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