コラム
酒井啓子中東徒然日記
六本木でアラブ・アートの今を体感する
中東、アラブ、あるいはイスラームの美術と聞くと、多くの方はおそらく、アラビア文字の書道(カリグラフィー)とか千一夜物語のエキゾティックな世界、あるいは最近では政治的メッセージの強い抵抗芸術、あたりをイメージするのではないか。
その「偏見」を打ち破ってくれるのが、今、六本木の森美術館で開催されている「アラブ・エクスプレス展」だろう(http://www.mori.art.museum/contents/arab_express/)。エジプト、レバノン、アラブ首長国連邦、パレスチナなど、アラブ諸国出身の若きアーティストの作品が紹介されているが、驚くのは、いずれの作品も実にポップである。写真や動画のコラージュ、作家自身によるパフォーマンスなど、「これはN.Y.のアートシアターか??」と思わせるような雰囲気。作家たちがさまざまなポーズで記念写真風に世界の観光名所に登場する一連の作品は、プリクラそのものだ。
登場する作品の多くに共通するのが、そこに日常生活が常に顔を見せていることだ。いや、西欧近代絵画の写実主義や自然主義で現されるような「日常」ではなくて、日常のコラージュのなかにシュールな世界を展開する、という感じ。なかでも印象的なのは、砂漠を空撮したイラク人アーティストの映像作品で、淡々とヨルダンの地面を空から映しただけなのだが、何もないようにみえる荒涼とした大地に高速道路が走り、ときどき鬱蒼とした緑の農地が見え、しばらくすると白い塊が密集したエリアが見える。無人の地に幾何学模様、という光景はナスカの遺跡かと見まがうほどだが、それが決して無人のそれではないことは、小さく車や人の姿が映されることからもわかる。衛星画像をもとに米軍がイラクを空爆したときにはこんな風に見えていたんだろうな、そこに豆粒のように映る日常生活には目をくれずに、などと思いながら、作品を見た。
また、そのブラックユーモアに思わず笑ってしまったのは、「次回へ続く」という映像作品。ネタバレにならないように少し暈して説明すると、見るからにテロリストな男が、かつてニュースでよく見たあの「テロ犯行声明」や「斬首中継」で使われたような録画取りセットで、なにやら深刻な顔で読み上げている。内容を真面目に聞いていれば実は・・・、ということなのだが、読み上げられている超有名な文学作品が、厳格なイスラーム主義者にとって必ずしも賛美すべきものではないことを考えれば、痛烈な皮肉である。
昨年の「アラブの春」でのデモが、一種の若者のお祭りとして組織されたことは、これまでにも繰り返し指摘されてきたが、それは同時に売れない若いアーティストの自己発現の場でもあった。ビデオやカメラを回してさまざまな映像を撮り、それを加工してデモの場で、あるいはYouTubeを通じて世界に発信する。「アラブ・エクスプレス展」は、そんな若手アーティストの発信の場を、遠く日本へと運んできたものだ。
最後に登場したエジプトのパフォーマンス・アーティストの作品は、そんな青年アーティストの生き様を体現している。ビニールで覆われた小さなスペースのなかで、宇宙人のような出で立ちでただ、毎日走り続ける。それは、外に出て自由に走り回りたくともできないムバーラク時代のエジプトを批判したパフォーマンスだったのか。そして彼は、昨年、まさに「アラブの春」でカイロでのデモに参加したところを、警官隊との衝突で命を落とした。
彼は、今がその時、ビニールの部屋を出て、どこまでも走っていけると思ったのかもしれない。
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