コラム

イランはアメリカの軍事圧力に折れるか

2012年01月11日(水)21時36分

 前回このブログで、「米軍がイラクから撤退するとイラク内政が不安定化するかも」、と書いた。

 内政面での懸念については、以前から指摘されていたことなので、さほど驚くに値しない。それより、「予想はしていたがここまで露骨にやるか」というのが、イランの動向だ。

 昨年11月にIAEAが「イランは核兵器開発を推進」と明記した報告書を発表、それを受けて12月31日にオバマ政権は、より厳しい対イラン制裁法を制定した。世界各国にイラン中央銀行との取引を禁ずるもので、イラン原油を輸入する西欧、日本などは米国の制裁対象となりうる。代替原油をどこから調達するか、早くも日本政府はサウディアラビアなどに打診している。

 これに対して、イランは負けじと強硬姿勢を貫いている。年末からイラン政府高官は「制裁が課されたらホルムズ海峡を封鎖する」と警告してきたが、年明けすぐに同海峡で軍事演習を実施、ミサイル発射実験などを行った。さらに1月10日にはウラン濃縮施設をこれ見よがしに稼動させており、まったく折れそうな気配はない。米は米で「ホルムズ封鎖は超えてはならない一線」と、強い姿勢に出ている。

 イランが折れそうもないことの背景には、隣国イラクからの米軍の撤退が無関係ではなかろう。米との軍事衝突を想定したとき、国境ひとつ隔ててイラクから攻撃する場合は危機意識が全く異なる。これまでもイラク政府と米軍との基地交渉の過程で、「イラク領から他国を攻撃しないように」との条件が頻繫に議題に挙げられていたことからも、イランにとってイラク駐留米軍が目の上のタンコブだったことがわかる。今年米軍がアフガニスタンからの撤退をも予定していることを考えれば、ますますイランにとって、タンコブがなくなっていく安心感が高まっているのだろう。

 そもそも、米軍がイランに軍事的圧力をかけようとしたとして、どこまで効果的な軍事行動がとれるものだろうか。部分的な空爆で政権の思惑を変えさせることがいかに難しいかは、イラク戦争前の対イラク空爆(1998年)を見れば明らかだ。軍事政権でもなく、軍事力で反政府勢力を押さえつけてかろうじてもっているわけでもないイランの現政権は、軍事拠点を攻撃されたからといってそれが政権を揺るがすかも、という不安は抱かない。ましてや、経済制裁で自国の経済が悪化したところで、国民がそれをバネに反政府活動を強める、という期待も持てない。「アラブの春」では例外的に民衆運動の高揚が政権転覆に繋がったが、イランではその数年前に同様の民衆デモが盛り上がったものの、押さえ込まれて今や下火だ。イラクのクルドやアフガニスタンの北部同盟のような、明白に米軍との共同作戦を望む勢力は、イランには存在しない。

 さらには、経済制裁でイランの孤立化を図ったとしても、安い石油を求めて制裁の眼をかいくぐろうとする国を厳しく取り締まるのは、難しい。国際監視網を完備するなどのコストをかける経済的余裕は、米国にも国際機関にもないというので、政権を軍事的に転覆するほうが手っ取り早い、と判断したのがイラク戦争である。本格的な戦争と駐留を選択したことが、米国にどれだけ大きな負担だったかは、まだ記憶に生々しい。

 結局のところ、緊張が高まったとしても米軍はイラン政権に対して決定的なダメージを与えられるようなことができるわけがない、とイランは考えているのである。逆に、中途半端なことしかできなかった米国の弱腰、とのイメージは、イラン政府にとっては格好の反米ナショナリズム用の宣伝材料になるだろう。

 イラク戦争とは何だったか、と回顧する風潮の強まる今、教訓を引き出すならこうした「軍事緊張の高め方」の過去の失敗こそ、十分に検証すべきではないだろうか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米からスイスに金地金が戻り始める、トランプ関税対象

ビジネス

日米、中国に対抗する必要 関税交渉を楽観=グラス新

ワールド

米、ウクライナ和平仲介を数日内に停止も 合意の兆し

ワールド

ミャンマー軍事政権と反軍勢力、停戦延長の意向=マレ
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 2
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判もなく中米の監禁センターに送られ、間違いとわかっても帰還は望めない
  • 3
    米経済への悪影響も大きい「トランプ関税」...なぜ、アメリカ国内では批判が盛り上がらないのか?
  • 4
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 5
    紅茶をこよなく愛するイギリス人の僕がティーバッグ…
  • 6
    ノーベル賞作家のハン・ガン氏が3回読んだ美学者の…
  • 7
    トランプ関税 90日後の世界──不透明な中でも見えてき…
  • 8
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 9
    トランプが「核保有国」北朝鮮に超音速爆撃機B1Bを展…
  • 10
    今のアメリカは「文革期の中国」と同じ...中国人すら…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止するための戦い...膨れ上がった「腐敗」の実態
  • 3
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 6
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 7
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 8
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 9
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 10
    「世界で最も嫌われている国」ランキングを発表...日…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 6
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 8
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story