コラム
酒井啓子中東徒然日記
イランの「ぶっ壊し」屋再選
とうとう日本も選挙である。果たして「チェンジ」が起こるのかどうか。選挙は、政権を変えられる可能性を国民に担保してこそ民主的なわけで、選挙を繰り返しても何も変わらない、という閉塞感は、民主主義への不信感を生む。
さて、変わらないことの不信感が暴動につながったのが、2カ月前のイランの大統領選挙だった。選挙の不正を巡って流血の混乱に至ったことは、前にも書いたが、その騒ぎもどこ吹く風で、アフマディネジャードは今月5日に、2期目の大統領に就任した。
選挙後の混乱は、改革派対保守派という、イスラーム体制内部の対立として理解されてきたが、どうも事態は別の方向に動いているようだ。むしろアフマディネジャードは、イスラーム体制自体を「ぶっ壊し」そうな感がある。
アフマディネジャードが強引に再選された背景には、保守派のトップ、ハーメネイ最高指導者の後ろ盾があったわけだが、そのハーメネイ師との間に不協和音が生じている。大統領認証式のとき、アフマディネジャードがハーメネイ師の手にキスしようとしたのを、ハーメネイ師が避けた。その1週間前に、アフマディネジャードがハーメネイ支持派のモフセニエジェイ情報相を解任したからだ。また7月半ばには、親族のマシャイ副大統領を第一副大統領に昇格させようとして、ハーメネイ師らの猛反対にあっている。
この対立は、突然現れたものではない。そもそもイスラーム法学者の資格を持たないアフマディネジャードは、保守派、改革派問わず、現イスラーム体制の政治エリートたち全体に挑戦してきたとも言える。
イスラーム革命から30年。革命直後には新鮮だった宗教指導者の統治も、年を経るにつれて既成エリート化する。特権的な地位にあぐらをかく宗教指導者たちが権力を握る限り、若い世代は上に上がれない。
その若い世代のフラストレーションをうまく支持にまわしたのが、アフマディネジャードだともいえる。彼がシーア派のマフディー思想、つまり救世主が近く現れる、という考えに心頭していることはよく知られているが、これはある意味で、宗教指導者の役割を否定する考えでもある。救世主が降臨してイマーム(シーア派イスラーム共同体の指導者)の地位につけば、保守派であれ改革派であれ、宗教指導者たちはお払い箱だからだ。ちなみにアフマディネジャードは、「救世主と直接交信できる」と主張してはばからない。直接交信できれば、ハーメネイ師の支持など不要である。
新たな世代、非特権層を代表してのし上がろうとする政治家は、たいてい大衆にわかりやすく訴えかける。ポピュリズムの鉄則だ。やはり、現状を「ぶっ壊そう」とする政治家は、どこか似てくるのかもしれない。いや、ぶっ壊したあとが、たいへんなのだけれど。
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